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 山地はこの事件から約5年4カ月前の2000年7月、16歳と11カ月のときに、山口県山口市で実母・敏江さん(仮名、当時50)を殺していた。

 それから03年10月に仮出院するまで、岡山の中等少年院に収容されており、大阪での姉妹殺害事件は、その約2年後に起きた。

 山地悠紀夫という男の辿(たど)ってきた人生を、まずは振り返っておくことが、彼の犯行を紐解(ひもと)く鍵となる。

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酒浸りの父の死、母への憎しみ

「ユキちゃん(山地)のお父さんも、ユキちゃんと同じで美男子やったけど、いつも酒びたりで、ふだんはぶち優しいんやけど、飲むと荒れる人なんよね。もともとは大工で、躰を壊してからはパチンコ屋に勤め、それも辞めとった。家の生活費はお母さんがスーパーで働いて稼ぎよったんよ。ただ、収入はそれだけやから生活はそうとう苦しかったみたいよ」

 05年、大阪での事件発生直後に、山地の生まれ故郷である山口市で取材した私にそう語ったのは、彼が幼少のころに地域の民生委員をしていた川本礼子さん(仮名)だ。

 山地の母・敏江さんは1970年、20歳のときに農家に嫁いだが、6年後に離婚。実家に戻り、山口市内の呉服店に勤めていた29歳のときに、1歳下でパチンコ店に勤めていた父・浩二さん(仮名)と出会い、再婚した。山地が生まれたのはその4年後の83年8月21日である。

小学校の遠足の日にいなくなったことも

 親子3人は山口市の中心部にある6畳と4畳半のアパートに住み、その近くに父方の祖母が住んでいた。川本さんは続ける。

「お父さんは酔って暴れると手がつけられんかった。ガラスを割ったり、簞笥(たんす)をひっくり返したり……。お母さんにも手を上げよったし、おばあちゃんとユキちゃんがうちに避難してきたことが何度もあった。そういえばユキちゃんが小学校の遠足の日におらんくなって、私も探しに行ったことがある。お父さんが遠足に持って行くリュックを屋根の上に捨てたらしいんよ。それでふてて(ふて腐れて)家を飛び出したって」

 生活費に事欠き、近隣に米や味噌、ときには現金を借りることも少なくなかった山地家では、気の強い敏江さんが仕事をせずに酒を飲む浩二さんにきつい言葉を投げつけ、喧嘩になることもしばしばだったという。

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小野一光

文藝春秋

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