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父に使いこまれた奨学金は315万、「小学生の頃から“お金貸して”と」…岩手の困窮農家に生まれた男性(33)の壮絶すぎる人生

AIクレジット・足澤憲さんインタビュー #1

2021/08/30
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お金がなかった原因は、父の「見栄」だったのでは

――お話を聞いていると、借金の利息の支払いや、お父様が働かないことを別にしても、なぜそんなにお金がなかったのかも不思議です。

足澤 父は農協やメーカーさんから、新しい農業用の機械が出たよと教えられると、損得勘定もせずにすぐに買ってしまうんですよ。たぶん見栄っ張りな性格だったんでしょうね。

 数年前、お金がないのに何台も車があるから「クラウンは売ったら」と言ったら、「いや、これは何十年も大事に乗っていれば博物館行きになる車なんだ」って。しばらくしたら「おい、これヤフオクで売ってくれ」と頼まれましたけど。数十万で売れました。

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――広告には“給食費が払えなくて中学からバイトした”とありましたが、どういったアルバイトをされたのですか。中学生となると、かなり限定されそうですけど。

足澤 仕分けの仕事をしました。中学生でもやれるんですよね。給食費も払えなかったけど、母が死ぬほど頑張って仕事していましたし。ちょっとでも家族のためというか、むしろ母のために働きたいみたいな感じでしたね。

――お年玉とかクリスマスプレゼントなんかは。

足澤 もらった記憶は一切ないですね。親戚からお年玉はもらえたので、あらかじめ親戚に「くれる際にはこっそり声をかけて」と頼んで。父にバレないようにもらっては、自分にしかわからない場所にしまって。でも、隠していたお金がなくなったことがありますね。誰が盗ったのかは、わかりませんけど(笑)。

――お父様が浮かんでしまったのですが……。

足澤 わからないですね。ただ、父は私に「お金貸して」と言ってきていたので、こっそり盗るようなことはしないと思いますけど。

――それもどうかと思うのですが……。

足澤 小学生の頃から普通にありました。お年玉とかで貯めていたうちから「ちょっとだけ貸して」と言って、数千円を持っていかれる感じで。「貸して」だから返してもらえるんだろうなと、小学校の時は思っていました。