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先生に催促されなかった給食費

――どれくらいから経済的に厳しい家だなと感じ始めましたか?

足澤 小学生くらいですね。学校でのなにかしらの支払いがあっても、必ずうちだけ遅れていたんですよ。それが普通だと思っていたけど、友達の話を聞いたらそうじゃなさそうだと。で、小学校高学年、中学生と進むに従って、確信していったという。

――代表的なところだと給食費とか。

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足澤 給食費とか、なにかと集金袋に入れて学校に持っていったじゃないですか。その度に「すいません、忘れてきました」と先生に言うんですけど、忘れたのではなくて払えないという。

 とにかく忘れたことにして、何日も何日も滞納して。なんとか農業の収入が入った時に、やっと納めるみたいな。親に催促してももらえるものじゃないので、待つしかないんですよね。

 

――先生や同級生たちは、足澤家の経済事情を悟っていたのでしょうか。

足澤 毎回「忘れた」と言っていたので、先生は気づいていたと思いますよ。でも、「明日、持ってこい」とか「早く払え」みたいなことは言われなかったですけどね。

 友達はあまり気づいていなかったんじゃないですかね。というのも、僕はもともと物忘れがひどくて、ランドセルを忘れたまま登校したことが結構あったので。それもあって、変だとは思われていなかった気がします。

「学校に行って、帰ってきたら農作業をやって」の繰り返し

――月末の支払いが多い時期になると、家の雰囲気が悪くなったりは。

足澤 両親が言い争うことはありましたけど、母がポジティブな人間で、家族との会話で父への不満を解消していたので、常にどんよりしている感じではなかったです。貧乏だけど元気にやっていますみたいな。

 

――お金がないことで、一番つらかったことってなんでしたか?

足澤 中学の頃、母と僕のふたりで農作業をしまくっていたんです。どんなに夜遅くまで農作業をしても、翌朝には学校に行って、また帰ってきたら農作業をやっての繰り返しで。メインでやっていたリンドウだと、刈り取ったものをサイズごとに分けて、束ねて、切って、箱詰めして、みたいな単純作業を延々と。

 繁忙期だと、「まだまだあるぞ」みたいな無限感と「どんなにやっても支払いはギリギリなんだろうな」という無常感に襲われるんですよ。しかも農地の名義は父になっているので、働いた稼ぎは父の口座に入るわけですし。その時に、農業は絶対に僕の代で終わらせて誰にも継がせないと固く誓いましたね。