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メリー喜多川氏が本当に愛したジャニーズの名前「マッチのために中森明菜に…」「田原俊彦とファンで“全裸監督”と大乱闘」

メリー喜多川氏が本当に愛したジャニーズの名前「マッチのために中森明菜に…」「田原俊彦とファンで“全裸監督”と大乱闘」

壮絶なジャニーズ人生 #1

2021/08/26

genre : エンタメ, 芸能

 いろいろと摩擦があった田原とは対照的に、メリー氏の寵愛(ちょうあい)を一身に受けたのが近藤真彦だった。

「田原に次いで、1980年暮れに『スニーカーぶる~す』でデビューした近藤は、メリーさんの一番のお気に入りでした。王子様系が基本の典型的なジャニーズタレントとは違い、やんちゃなところがメリーさんの母性本能をくすぐったのでしょう。一時はジュリーさんと結婚させて、ジャニーズ事務所の後継者にするのではとも噂されてました」(ワイドショー関係者)

 だが、近藤はメリー氏の思惑から外れ、大スキャンダルを起こす。1985年公開の映画「愛・旅立ち」での共演をきっかけに中森明菜(56)と交際し、しかも中森のライバルである松田聖子(59)とのニューヨークデートを写真誌に撮られてしまった。

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マッチと明菜の金屏風事件の裏でメリー氏が暗躍

 ショックを受けた中森は、1989年7月に近藤の自宅で手首を切る自殺未遂事件を起こす。トップアイドル同士の交際だけでもご法度の時代に自殺未遂。しかしここでもメリー氏が暗躍した。

「大みそかの『NHK紅白歌合戦』の真裏で、金屏風を背景に中森が会見し、近藤がそこへ友人として同席して励ますという不思議な光景が繰り広げられました。この場へ出てくるように中森を説得したのがメリー氏です。どう説得したのかは闇の中ですが、中森は会見すれば近藤と結婚する道が開けると信じていたとも言われます」(ワイドショー関係者)

 だが2人がゴールインすることはなく、その後、中森が完全復活することもなかった。

「金屏風事件」の際の中森明菜。写真左に近藤が座っている ©文藝春秋

 一方、近藤は1994年に一般女性と結婚したが、特別扱いは変わらなかった。メリー氏の庇護の下、自由気ままにレース活動をしながらタレント活動を行った。しかし「週刊文春」(2020年11月19日号)で、アパレル会社社長との不倫が報じられる。

 芸能ジャーナリストが語る。

「メリーさんは2019年7月にジャニーさんが亡くなった後、副社長から会長に、そして2020年9月には代表権のない名誉会長に就いていました。この時期くらいからでしょうか。芸能記者の間ではメリーさんの体調不良が話題にたびたびのぼるようになってきました」

 そんな中、近藤の不倫騒動が起きる。ここでメリー氏は、これまで寵愛してきた近藤への態度を一変させたのだという――。(#2へ続く)

メリー喜多川氏が本当に愛したジャニーズの名前「マッチのために中森明菜に…」「田原俊彦とファンで“全裸監督”と大乱闘」

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