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 それどころか、私が体調を壊せばさりげなくスポーツドリンクを買ってきてくれたり、スーパーで温かい惣菜を買ってきてくれたりする。私が礼を言っても、彼は淡々と「はい。お大事に」と言うだけ。その絶妙な距離感が、泣きたくなるほど救いだった。

 私自身も、日々の生活で「ササポンに経済的に頼ることはやめよう」ということだけは決めていた。そこで甘えてしまえば、この生活の何かが変わってしまうことが分かっていたからだ。だからこそ私たちの関係は、常に対等だったのかもしれない。

「おはよう」「おはようございます」

 ササポンと暮らし始めて半年が過ぎた頃から、私は少しずつ元気を取り戻していく。フリーランスライターや作家として仕事依頼も増えた。仕事が決まった報告をするたび、彼は「へぇ」と、さほど興味もなさそうに一応喜んでくれる。「私に対する興味のなさ」も、絶妙に心地良かった。

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 我々の生活の1日の始まりは、こうである。

 毎朝目覚めると、私は1階の自室から2階リビングへと向かう。すると、出社用スーツに着替えたササポンが食卓に座り朝食を食べている。大手企業で管理職に就く彼は、常に身なりを綺麗にしていたが、いつも寝癖がピョコリと発芽玄米のように一束跳ねていて、私はやや吹き出しそうになる。そのまま「おはよう」と声をかけられるので、私も淡々と「おはようございます」と返す。

 その後は互いに別々の朝食を食べ、ササポンが挽いてくれたコーヒーを飲む。たとえ会話がなくてもリラックスできる、貴重な時間だった。時には周囲の友人から「一緒に住んでるおじさんに対して、本当に恋愛感情はないの?」と聞かれることもあったが、そのような感情は1ミリもなかった。

 あるのは、信頼だけだった。

 

 こうして奇妙な同居生活を始め数年が経ったある日、私は久しぶりに恋に落ちた。相手は脚本家で、言葉を巧みに操る彼の仕事ぶりに私は心底夢中になった。幸い彼も私を気に入ってくれたようで、ある日、食事に誘ってきてくれた。私は舞い上がり、ササポンに状況を事細かに説明する。

 さらに、男性とデートに着る服を相談したり、彼に対して返事をするLINEの文面を見せて相談したりもした。すると、ササポンも珍しく眼鏡を光らせ「男は自分が追いかけたい生き物だから。追わせてあげなきゃダメよ」と、語気を強めて言ってきた。ササポンのアドバイスは若干昭和の香りがしたが、無知な私にはありがたかった。

 その彼とデートをするたび、私は「追わせるように、追わせるように」と心のなかで念仏を唱えながら戦略を練っていく。その甲斐あって、少しずつその恋は上手くいき始めていた。