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「本当の私はどこにいるのだろう」

 こうした本音が脳裏をよぎっても、ひとたびこの競争社会から降りてしまえば、全てを簡単に喪失する予感があった。

 次第に私は、将来に対する焦りから不眠症に陥り、原因不明の倦怠感に襲われるようになる。そして、ある日、コップの水が溢れるようにして突然病んだ。仕事に向かう途中、駅のホームで脚が一歩も前に進まなくなったのである。

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 そのまま這うように精神科に駆け込んだが、一度狂った歯車が元に戻ることはない。やむなく、当時勤めていた会社は退職。

 ところが、これまで給料の殆どを化粧品と洋服につぎ込んでいたせいで、貯蓄はほぼゼロ。血眼になり獲得しようとしていた「仕事も恋愛も完璧な私」というイメージから程遠い、無職・無収入といった状態に陥り完全に“詰んだ”。

 

 こうして自暴自棄になり数ヶ月が経った、ある日のことである。自宅アパートに引き籠もっていたところ、8歳上の姉から突然連絡があり、奇妙な提案があった。

「今のお前は誰かと一緒に住んだほうがいい。ルームシェアをしたらどうか」

 あまりにも唐突すぎて、言葉の意味がよく理解できなかった。

愛想笑いもない、メイクもしない、ヨレヨレのジャージでただ泣くだけの時間

 男性の名は“ササポン”こと笹本氏と言い、都内一軒家に住みクラシックをこよなく愛する人物だという。姉は、そのサラリーマンの男性と同居してみろ、というのだ。

 彼女自身も90年代後半、インターネットのルームシェア募集掲示板で彼を見つけ、しばらく一緒に住んでいたそうだ。その当時は、ササポンと姉、そして、もうひとり30代の別の女性が住んでいたという。

 いくら身内からの提案とはいえ「恋人でも家族でもない男性と住む」ということに抵抗を感じ、当然その提案は断った。しかし、最終的には貯金が底をつき、都心部でアクセス抜群なわりに手頃な家賃であることが決定打となり同居に踏み切る。生活費も浮くし、フリーランスライターとして成功し、良い男性と結婚してさっさと出ていこうと腹を括ったのである。

 

 ササポンと共に暮らし始めてからも、しばらくのあいだ私の精神的不調は続いていた。 会社員生活をドロップアウトした傷から立ち直ることができず、深夜まで粛々とライターの仕事をこなす。数少ないライター業でも徹夜をすると、根性が認められて社会人として居場所が与えられている気がした。

 ササポンに対しても愛想笑いする余裕がないし、一切リップサービスしない。メイクもせず、毎日同じヨレヨレのジャージを着続けて常にだらしなかった。さらに、深夜になると自室で謎の涙が止まらず、叫びだしたくなるような思いが交錯する。いま考えれば“詰んだ自分”を受け入れられず、セルフネグレクト状態に陥っていたのだろう。

 ところが、こうしたボロボロの状態の私を見ても、ササポンは何も言わなかった。