2021年2月に、養子の大翔くん(ひろと・当時9)を暴行の末に死に至らしめ、その10日後に心中するために実子である蓮翔ちゃん(れんと・当時3)と姫奈ちゃん(ひな・当時2)を絞殺した田中涼二被告(42)。文春オンライン取材班は、これまで10回以上にわたって福岡拘置所で面会を重ねてきた。
田中被告は幼少期に両親からの愛情に恵まれず、「2人とも仕事ばかり。父親からは目が合ったら殴られた」という。10代の頃には非行の末に警察沙汰にもなっている。
約20年前には当時婚姻関係にあった“太宰府の女帝”山本美幸被告=懲役22年の有罪判決、控訴中=と共謀して、山本被告の元交際相手とその友人に残虐な暴行をし、200万円を脅し取ったこともあった。そして、「九州3児遺体発見事件」に至ってしまった。
そんななかで、田中被告が「自分の人生で、これが後に最も後悔した瞬間」が「ヤクザの幹部だった」という山本被告の父親から誘われ、九州の指定暴力団に入ったことだったという。(田中涼二被告拘置所インタビュー#1、#2、#3、#4)
「抗争が激しくて自宅に手榴弾が投げ込まれた」
「金融の仕事や、覚醒剤の売人をやりました。覚醒剤は自分も使ってしまい、2回捕まりました。ヤクザは10年くらいやっていましたね。30歳ごろまでです。この時、対立組織との抗争が激しくて、自分が帰宅すると手榴弾が投げ込まれたんです。シノギもきつくて稼げないし、このままじゃいつか死んでしまうと思いました。それで東京に飛んだんです」
福岡から逃げ、向かった先は、埼玉県の西川口だった。
「同じようにヤクザを辞めた人間を支援している牧師さんを頼りました。兄弟分のつてで、仕事もしました。でも東京ってなんか合わないんですよ。道を尋ねても誰も教えてくれない。道を譲ってもくれない。そういう空気が息苦しくて、33歳か34歳のときに福岡に結局戻ってきました。
もしあの時、ヤクザの道を選んでいなければ、今は普通の仕事をして普通に生きているんじゃないかと。あの時に間違ってさえなければ今も違ったのではないかと思うんです。今更何を言っても遅いですが。本当に後悔しています。失った時間を返してほしい」
田中被告は当時について詳しくは語らなかったが、記者が話題を振るたびに、ヤクザの世界に足を踏み入れたことを何度も悔いた。
ヤクザ時代はずっと独り身だったのだろうか。記者が尋ねると、驚きの答えが返ってきた。