才能とは、持って生まれたものと努力との掛け合わせ
一方、比べることに敏感そうな勝ち負けの世界にいる木村九段は、そんなことよりも自分を高めることしか考えていない。悩んでいる、迷っている時間よりも、研究する時間に費やした方が確かに生産的だ。
才能というのは、本来、人が持っているものと、努力の掛け合わせだと思っています。
それは奨励会時代から、たくさんの仲間を見てきての実感だという。才能に溢れていると思われる同期や後輩がプロになれずに退会していく。どこかで真の努力を怠ったとしか思えない。10代から20代の若者が集う奨励会。きっと様々な誘惑もあるだろう。努力から逸れる瞬間があっても責められない。
人はみな違う。違う以上、今、自分が出来ることに全力を注ぐしかない。才能の多寡を測る物差しは存在しないし、努力の量を測る計測器もない。自分でしか判定できない。すべては自分で引き取るしかない。
人が参るのは、人と比べるから。
そうは分かっていても、では、ゆるぎのない自分がいるかと言えば、それも怪しい。
伸びる時期は、人それぞれ。伸びる分野も、人それぞれ。
この真実に立ち返れば、少しは心が穏やかになる。
【後編を読む】将棋AIよりも大切なのは“執念”ともいえる“個人的な熱い想い” 木村一基九段が持ち続けた「折れない心」の源に迫る
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。