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「父は『もちろん手伝いはするけど、お前がしっかりやりなさい』と、信じて任せてくれました。両親も私と同じぐらいの年齢で、おじいちゃんに6500万の借金をして、お寿司屋さんの1店舗目を出したらしいんです。私も6500万ぐらいのお金を父から出してもらって、残りの6500万ぐらいは自分で補助金を取り、全部で1億3000万ぐらいかけて事業をすると言い切りました。もしかしたら両親は、私を自分達と重ねて出資してくれたのかなと思います。すごく感謝しています」

最高のロケーションにたどり着くまで

 小高い丘を登りきると眼前に開ける唯一無二の景観で、一気に非日常へと誘ってくれる宿、ume,yamazoe。ロケーションが宿にとってどれだけ大切なものか、ここは思い知らせてくれる。

 しかし、この場所で開業するまでにはかなりの苦労があった。

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「ここはもともと山添村の村長さんが住んでいた大きなお家で、景観がすごく気に入って補助金でリノベーションしたんです。今までの事業はある程度計画的に勝算を持って始めたことが多かったんですけれど、ume,yamazoeは出たとこ勝負の連続でした(笑)。例えば、この土地の下に90歳ぐらいのおじいちゃんが住んでいて、田舎の慣習を十分に理解していなかった私は、『おまえら勝手にうろうろ最近しとるけど誰や』と不愉快な思いをさせてしまったことがありました。ただ私は『いろんな状態の人たち、みんなが楽しめる場所を作りたい』っていう考えをベースに持っていたので、絶対に近隣の方と仲たがいはしたくありませんでした。なので、その方から何か意見をもらう度に工事を止めて、手紙を出したり、毎日顔を出してお話をしにいったり、たくさん謝ったり、意見をうかがう機会を重ねました。なので、本来8カ月の予定が、完成までに2年半かかりました。

 これは、自分の感覚が大きく変わった出来事だったんですが、ある時、宿に至る坂道に納品車が止まっていたら、おじいちゃんが『そこはおまえらの土地ちゃうから止めたらあかん!』って怒って、トラックを杖でバーンと叩いていたんです。そのおじいちゃんが教えてくれたのですが、実はその道は、元々みんなの土地だったんです。みんなが土地をちょっとずつ供出して、自分たちで均(なら)してコンクリひいて、私道に変えていったんです。

 それがわかってから、私も当たり前のように場所や土地を使うという感覚がなくなりました。この家も、今はたまたま私たちが借り受けてるだけだし、鳥の声、虫の音、太陽の光の心地よさは、この場所の力であって私が何かをしている訳ではない、っていうスタンスに変わっていったんです。おじいちゃんが言うてくれへんかったら、多分いつまでも『自分とこの土地やから。何なんやろな?』と不満を感じていたと思います」

 先人たちを敬い、時には辛抱強く対話を重ねることで、村の中に自然に溶け込んでいった梅守。