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加藤 元々、「芸能界頑張るぞ!」とか「ずっとこの世界にいよう」って入ってきたわけじゃなかったから、なおさらですかね。それが一番大きかったかもしれないです。確かに仕事関係の方にご飯に連れて行ってもらったりもして、当時は友達も学生だったので、「いいなぁ」とか言われましたけど、僕はむしろ、同世代が行くような安い居酒屋のカウンターで喋っていたかった。たぶん、一生懸命普通のことをしたがっていたのかもしれないですね。

 なんというか、例えば芸能界で売れているといっても、突き詰めて考えると、それって何が凄いのって思ってたんですよ。オリンピックで金メダルを獲ったら「すごいな!」と思うけど、じゃあ芸能界でと考えると……。

「辞めさせていただきたいです」「ハルちゃん、なんで?」

――ただ、当時の加藤さんは、どんなときでも常に全力で仕事に取り組まれているイメージがありました。

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加藤 やるからには絶対にそうです。やっぱり失礼のないように、目の前のことは仕事でも仕事じゃなくても、全部一生懸命やっていました。たぶん一個一個のエンジンの掛け方を知らないから、いきなり全力なんですよね。よく、「短距離走のスピードでマラソンを走ってるみたい」って言われてました。

――そこで6割、7割の力でやれていれば、と思うこともありますか?

加藤 それが出来れば良かったのかな。……でも、もし仮に7割でやっていたら、残りの3割は自分に嘘をついてるし、その3割によって、他のスタッフさんとか一緒に仕事をしている人にも失礼ですよね。人付き合いでもなんでもそうなんですが、0か100かの人間なんです。いい感じで脱力できないというか、「こなす」ということが嫌なんですね。

 

――そうするとやはり、仕事の量をセーブしていくしかないですよね。

加藤 色々気持ちが追い付かなくなってしまって、あるレギュラー番組に「辞めさせていただきたいです」とお願いしたときは、出演者の方から「ハルちゃん、なんで?」と言われたのを今でも覚えています。たぶん、当時のスタッフの方には生意気だと思われたかもしれないです。26、7(歳)でそんなことを言っていたので。でも、本当に余裕がなくて。

――精神的にギリギリな状態での選択だった、と……。

わざわざ「引退したの?」と言ってくる人も

加藤 やっぱりその頃は、ちょっと普通じゃなかったな、と思いますね。当時、すごく仲の良い地元の友達の結婚式が京都であって、なんとか仕事の合間を縫って出席したんです。でも、みんなはそのまま泊まりなのに、僕はすぐ東京に戻らなきゃいけない。それでみんなに見送られて新幹線に乗ったんですけど、「そのときの顔が本当に悲しそうだった」って今でも言われます。その後も、新幹線に乗っている間に5回くらい、京都に残った友達に電話を掛けていたみたいで。「みんな、今何やってる?」とか、そんなことを何度も……。

――しかし、自分を守るためとはいえ、テレビでの露出が減っていくと、やはり周りからは色々言われたりしませんでしたか。

加藤 「あれ、なくなったじゃん、番組」とか、「減ったね」とか言ってくる人もいましたね。でもそれって、わかってもらうのは無理なんですよ。なんだろう……格好をつけたような言い方になりますけど、もうここにいられるような状態ではなくなってしまったから、山をちょっと下らせてもらうと。でも、そうすると周りからは「あれ?」「仕事なくなったじゃん」って言われてしまう。

 もちろんそんなことは覚悟の上なんだけど、実際にそういう言葉を掛けられると、そもそもあなたたちには関係ないでしょ、という思いもありました。わざわざ「引退したの?」って言いに来る人もいましたし。