――本当に忙しいときは、ヘリコプターで移動することもあったと伺いました。
加藤 ありましたね。さいたまスーパーアリーナで仕事をして、終わったらダーッと走って裏に停まっているハイヤーみたいなのに乗って、近くの小学校のグラウンドに向かったんです。そしたら、周りで部活とかやってる中、グラウンドにヘリがバタバタバタッて降りてきて。そこから千葉まで飛んで、撮影が終わったら次は世田谷のスタジオまで飛んで……。当時も「えっ、こんなことまでする必要ある?」とは、やっぱり思ってましたよ。
今思えば、そもそも仕事の組み方がおかしいじゃないですけど、でも、そんなエピソードはたくさんあります。もう、常に追われていて、「はぁ」って落ち着こうとした瞬間に、後ろから「ねぇ?」って肩に手がくる感じで。やってもやっても、次から次に「ねぇ?」って。
会社員になった同世代が羨ましかった
――高校卒業とともに東京に出てきて、落ち着く間もなくそんな生活になってしまった。
加藤 あまりにも何も知らないままスタートして、知らないまま膨らんでしまったんで、たぶん僕じゃなくても、誰でもきつかったと思うんです。それに、僕はもともと何かに偏ることが苦手で。当時は、正直ちょっと忙しすぎて、自分の生活の全てが芸能界だけに偏ってしまった気がするんです。僕の中では、芸能人としての自分は一部でしかないのに、男・加藤晴彦、人間・加藤晴彦としての時間がなかった。日々追われるように仕事をしていて、自分の中でそのバランスがとれなかったというか……。
引きで見たときに、自分には一体何の魅力があるんだろうとも思ったし、同世代が経験していることを何も出来ないまま時間が過ぎていくような気もしていました。自分ではまともなつもりでも、例えば会社に入った友人は給料のこととか保険の支払いのこととか、僕が全く知らないことを知っているわけです。なんかそれが羨ましいというか……自分自身には欠落した部分があるんじゃないか、というように思えてしまって。
仕事が終わると友達のアパートに行って……
――そうしたことを、どなたかに相談されたことはあったんですか?
加藤 地元(名古屋)の友達も東京に出て来ていたので、よくそいつの家に行って、相談というか、色々話はしていました。ジュノンのコンテストに誘ってくれた、高校の同級生です。仕事が終わってから、そいつのワンルームのアパートにコソッと行って、2人で豆腐丼を食べたりして。そうしているときが、いちばん素の自分だったのかもしれないですね。本当に辛かったときは、夜中に泣きながらそいつに電話を掛けたこともありました。でも、やっぱり自分がなんで泣いているのかはわからなかったんですよね。
そんな状態でも、現場に行けば職業病でパッとカメラの前で芝居をするし、みんなでご飯を食べに行けば、そこでもやっぱり場を盛り上げようとスイッチが入るんです。でも、そんな切り替えに慣れちゃってる自分もちょっと気持ち悪くて、終わってからまたドーンってなって。
――芸能人としての環境の変化に、気持ちが追い付かない感じだったのでしょうか?