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 それを聞いた三和銀行事業開発部プロジェクト開発室長の清水美溥は、親交のある阪急電鉄首脳からブレーブスを売却したいと考えていると明かされていたことを思い出す。ただし、歴史ある名門球団を売るとなると、反対運動も起きるかもしれないし、目立つのは困る。そこで、阪急としては、どこか他球団が売却を決めたら、その同じ年に売りたい。さらに言えば、南海が難波再開発を機にホークスを売る可能性があるので、同年に売れれば最善だという意向を聞かされていた。

 宮古島から帰ると、古寺は小林オーナーに、オリエント・リースの西名が球団を買いたいと言っていたと報告した。小林から「可能性があるのなら、詰めるように」と指示されると、古寺は三和銀行の清水を訪ねた。清水がオリエント・リースの西名に確認すると、本気だと言う。そこで清水は「条件次第で阪急が売ってもいいと考えている」「その条件は南海が売ったときだ」と伝えた。

 西名からの報告を受け、オリエント・リース社内では阪急ブレーブス買収へ向けての調査や検討が始まった。これが1988年8月終わりのことである。

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 一方、8月28日には複数のスポーツ新聞が「ダイエー、南海を買収、福岡移転」と報じた。だが、当事者のダイエー、南海、福岡市はみな否定した。報道はいったんは沈静化した。

 9月7日、オリエント・リースは翌年4月から「オリックス」へ社名変更すると発表した。

南海、阪急、そして10.19

 9月12日、南海球団の吉村茂夫オーナーが自宅に記者を招き入れ、売却の意向を明らかにし、条件はホークスの名を残すことと杉浦忠(ただし)監督の留任、安易な首切りはしないの三点だと言った。

 21日になって吉村と中内がトップ会談をし、球団譲渡が正式に決まった。それまでに実務者レベルで全ての条件が詰められていた。会談後の記者会見で中内は「市民球団として福岡に本拠地を置き、球団名は福岡ダイエーホークスとしたい、さらに将来はドーム球場を建てたい」と発表した。譲渡額はこの場で明らかにされなかったが、30億円だった。

 10月1日にオーナー会議が開催され、福岡ダイエーホークス誕生が了承された。

 南海・ダイエーがまとまったので、阪急がブレーブスを譲渡する条件が整った。オリエント・リースとの協議が急ピッチで進む。プロ野球の球団譲渡は10月31日までにオーナー会議で了承されなければ、一年先になってしまう。