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「条件は南海が売ったときだ」秘密裏に進んでいた阪急ブレーブスの身売り…公式発表はなぜ伝説の“10.19”と同日になったのか

『プロ野球「経営」全史 球団オーナー55社の興亡』より #2

2021/10/19
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 オーナーたちはみな大企業トップなので、スケジュール調整が難しい。だが日本シリーズの開幕日は、オーナーたちも観戦に来るのが恒例なので、その日なら集まりやすい。阪急はコミッショナー事務局にオーナー会議開催を要請し、10月21日と決まった。

 発表はその前にしたい。いつにするかを双方で協議し、オーナー会議2日前の19日と決めた。

 譲渡金額は30億円、「ブレーブス」のチーム名をそのまま使う、上田利治(としはる)監督を留任させる、西宮球場を本拠地として使うというのが阪急側の条件で、オリエント・リースもそれを呑んだ。だが、後に全て反故にされる。

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パ・リーグの一番長い日

 パ・リーグは西武と近鉄が首位争いをし、10月16日に西武は首位のまま全日程を終えた。しかし近鉄はまだ残り4試合あり、3勝すれば勝率で西武を抜いて優勝できる。しかし17日、近鉄は阪急に負けた。残っているロッテとの3試合を全勝するしかない。18日、川崎球場でのロッテ戦に勝ち、19日はダブルヘッダーだった。第1試合は9回に逆転という劇的な勝利で、第2試合に勝てば近鉄の優勝だった。普段は空席だらけの川崎球場は超満員となった。

 その第2試合が始まる前の夕刻、阪急とオリエント・リースは球団譲渡を発表した。このタイミングを狙ったのではなく、偶然、そうなってしまったのだ。第2試合は午後6時44分に始まり、4対4で時間切れ引き分けとなり、10時56分に終わった。10回表に点を入れられなかった時点で近鉄の優勝はなくなったが、選手たちは10回裏も守らなければならなかった。

 世にいう「伝説の10.19」「パ・リーグの一番長い日」である。

 夜10時からのテレビ朝日系の報道番組『ニュースステーション』はこの試合を生中継し、関東地区で30.9パーセント、関西地区では46.4パーセントという記録的な高視聴率となった。パ・リーグの試合がこんなにも注目されたのは、初めてだった。

©iStock.com

 そのおかげで、ブレーブスの身売りという衝撃的ニュースは影が薄くなった。目立ちたくなかった阪急にとってはよかったが、華々しく発表したかったオリエント・リースにとっては残念だった。

 川崎球場は盛り上がっていたが、この時期、日本は奇妙な落ち着かない状況にあった。昭和天皇が9月19日に大量吐血をして倒れると、以後、翌年1月7日まで長い「自粛」に入っていたのだ。

 セ・リーグで優勝した中日ドラゴンズは、祝賀会でのビールかけを自粛した。

 この実質的な昭和最後の年となる1988年、阪急ブレーブスと南海ホークスという伝統ある球団が消滅した。関西の私鉄で球団を持つのは阪神と近鉄だけとなった。

【前編を読む】実態は“松田家”の私有球団…それなのに「広島“東洋”カープ」が「広島“マツダ”カープ」と呼ばれないワケ

プロ野球「経営」全史 球団オーナー55社の興亡

中川 右介

日本実業出版社

2021年9月29日 発売

「条件は南海が売ったときだ」秘密裏に進んでいた阪急ブレーブスの身売り…公式発表はなぜ伝説の“10.19”と同日になったのか

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