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1980年代にメディアを騒がせた「熱愛」

 ジャニーズ事務所から移籍した後も、郷ひろみは順調に活躍を続けた。1980年代には松田聖子との「熱愛」が芸能メディアを騒がせたこともあったが、還暦を過ぎたいまも若々しい姿でステージに立っている。

©️文藝春秋

「松田聖子との交際は、うまくいくと思えませんでした。最大の理由は、郷ひろみを芸能界に入れ、彼に対してもっとも影響力があった実のお母さんが、松田聖子との交際に猛反対していたからです」

 芸能界入りする前、同郷の郷ひろみの熱烈なファンであった松田聖子の「恋心」は、CBS・ソニーで郷と聖子を両方担当していた酒井さんにもすぐ分かった。当時、交際の行方を案じていた郷ひろみのマネージャーから相談され、東洋占星術の大家を紹介したこともあったという。

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 マネージャーは、その大家にこんなリクエストをした。

「この2人の結婚運を占っていただけませんか」

山口百恵と入れ替わるように1980年、芸能界デビューした松田聖子

 紙に書かれた名前は(郷と松田の本名である)「原武裕美」と「蒲池法子」だった。占術家はこう語ったという。

「お2人の結婚は、うまくいかないかもしれません。いまは実運と虚運が重なっていますが、いずれ……」

 マネージャーが沈黙したとき、占術家は逆にこう質問したという。

「このお2人は何か、表現のお仕事をされている方ですか」

 酒井さんが語る。

「松田聖子が、あっという間に郷ひろみと並ぶほどのトップスターに成長したとき、私は恋愛の行方については悲観的になっていました。郷ひろみは、愛されることに慣れていました。自分のほうから本当に誰かを愛するという気持ちが芽生えたとき、初めて恋が成就するのではないかと思っていましたね」

2000年にリリースされた郷と松田のデュエット曲『True Love Story』

 結果的に2人の恋愛は破局したが、2000年にはデュエット曲をリリースするなど、過去のスキャンダルさえも前進する原動力に変えながら、揃って長い活躍を続けている。