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ナンシー関の「痛烈批判」
フリッパーズ・ギター/小沢健二との出会いは、私の手元にある雑誌『明星』(集英社)の90年4月号。この号で渡辺満里奈は、初対面のフリッパーズ・ギターと対談しているのだ。こんな感じで。
雑誌の記事で彼らのことを知って、デビューCDの『THREE CHEERS FOR OUR SIDE』を買ってみたら、大当りーだったの。言葉じゃ言いにくいけど、大好きな音の世界があって、もう合う人ごとに「いいよ、いいよ」って言いまくって…。で、実現したんです。これが。話すのはじめてだから、緊張しちゃうなぁ…。
この対談の中には、当時渋谷クアトロで行われたフェアーグラウンド・アトラクションのコンサートでフリッパーズ・ギターの2人が渡辺満里奈を見かけたと言っていたり、渡辺満里奈がジャック・タチ監督の『ぼくの伯父さんの休暇』を観たと話していたりと、サブカルチャー(それも当時のおしゃれ系)満点の展開となっている。
こういう渡辺満里奈のサブカルチャー志向を痛烈に批判したのが、故・ナンシー関だった。著作『何だかんだと』(世界文化社)に収録された、00年のコラム「渡辺満里奈『台湾通宣言』はミッキー安川への第一歩となるか」では、その頃「台湾通」をアピールしていた渡辺満里奈に対して、こう斬り込んでいる。