東畑 ありがとうございます。僕は遠藤周作が好きで、若い時に恋愛についてのエッセイを読んでいました。ギャグの中に突然出てくる抒情的な表現にグッときて。
ブレイディ 笑いながら胸に来るんですよね。東畑さんは、「心」は「体でも、物でもない」と否定形で定義されていると書いていますが、私は「脳って体では」と思っちゃった。
心の定義で、私が思ったのは英語では何と言うのかということ。息子の学校で「mindとheartの違いは何か」という課題が出て、家族で考えたことがあります。私は、マインドは脳、ハートは胸という感覚。
アイリッシュの夫は「ロジカルに感じたり思ったりするのがマインドで、エモーショナルに感じるものがハート。スピリチュアルのspiritもある」。言われてみると、日本語で「心」と一言で言っても範囲が広い。
「そもそも心って何でしょう?」というのが、一番に聞きたかったんです。
東畑 大学で心理学を教えていますが、毎年新入生たちががっかりするのを目撃します。「他者の心をケアしたい」「自分の心を知りたい」とハートについての学問を学ぼうとしたのに、授業では認知機能や情報処理過程などマインドの話ばかりだから(笑)。
一般に日常生活の中で「心が痛い」「心が寂しい」というときの心にはマインドとハート、哲学でいえば「理性と情念」の両方が含まれています。つまり、マインドがハートのことを考えているとき、「心がつらい」「心が癒やされた」などと感じることができる。
理性で考える能動的な私と、情念という受動的な私が「何を感じているのか」「私はどういう人か」と対話することから生まれるものが、いわゆる「心」なのだと思います。
アナキストは個の力を信じる
ブレイディ なるほど。私はマインドで自分自身のハートを知ることをほとんどしていないのに気づきました(笑)。
以前、詩人の伊藤比呂美さんに「海外で日本人差別された時にどういう気持ちになる?」と聞かれて、うまく答えられなかったんです。私はそういう時に自分の気持ちを見つめるより「次の一手をどう出るか」を考えてしまうから。
東畑 ブレイディさんは何かが起きて心が動いた時に、その向こう側にある社会構造がバッと見えますよね。自分の内面ではなく、世界の広がりのほうに目がいくシャーマン(呪術師)タイプじゃないですか。