1ページ目から読む
2/6ページ目

野宿しながら四国八十八ヶ所

 草遍路のように十数回もまわるようになると、八十八ヵ所だけでなく不動霊場など他の巡礼もまわる人が多い。ナベさんは20回まわったという不動霊場の御朱印を見せながら説明をつづけた。

 遍路している人の中には、こうした奇跡を体験して信仰を深める人も少なくないが、信仰の浅い私には、ただの偶然にしか思えなかった。

 伝統的な白い遍路装束でなく、なぜ黒装束なのかと訊ねると「信仰してるお不動さんは青黒いから、それで黒色の服にした」と言う。

ADVERTISEMENT

 私がプライベートな話に踏み込むと「信仰のないあなたに語る必要はないッ」と怒り出すので困ってしまった。

 本来このように警戒心の強い人には、もう少し時間をかけて親しくなってから話を聞くべきなのだが、一度別れたら次はいつ会えるのかわからないのが草遍路だ。私はナベさんに申し訳ないと思いながらも、なだめすかしながら話を聞きつづけた。

「なぜ遍路だったのかというと、自分がなぜ生きてるかわからないから」

「生まれ育ちは香川だけど、遍路にそんな興味がある方ではなかった。学校を出てから大阪に出て40年、60歳の定年まで働いた。仕事はエンジニアとかの技術職で、最後の方はパソコンを4台くらい並べて仕事していた。結婚して子供もいたけど、子供はもう独立していたので、妻に無理を言って離婚してもらい、70リットルのザックを背負って家出のようにして遍路に出た。今は73だから、もう12年くらい回ってる。この間、宿に泊まったことは1回もない。善根宿もない、すべて野宿してきた。なぜ遍路だったのかというと、自分がなぜ生きてるか、わからないからしているんだ。食事もいまは1日1回。できればこれからはさらに不食を目指したい。宇宙のエネルギーを吸収して、脳波をシータ波にするんだ」

 詳しい事情はわからなかったが、大阪では相当に我慢を重ねて生活していたようだ。定年を待って、離婚してまで草遍路になったのだから、そうとう鬱屈した思いがあったのだろう。話がどうしても信仰やスピリチュアルな方向に飛んでしまうのだが、ナベさんの関心事はそこにあるのだから仕方ない。

 ナベさんの押している台車はリヤカーのように長くなっており、一見すると巨大な甲虫のように見える。屋外で使える折り畳み式の簡易ベッドまで載せており、できるだけ快適に野宿できるように工夫している。

『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』(KADOKAWA)

「移動は1日10キロくらいやな。競争やラリーではないし、過程が大事だと思うから、これくらいがちょうどいい。他の遍路とは話もしない。彼らは、あそこは貰いが少ないとか、そんなことしか言わない。一緒に東屋で野宿したときも『屋根も便所もあるから御殿やぞ』と言ったけど、嫌がって泊まらんのや。彼らは不満を言うばっかりや。

 托鉢して100円しか貰えないと少ないとか言うけど、それでは行にならんのや。私は托鉢して回っているけど、スーパーの入口で立つとか門付もしない。何もない駐車場とか、歩道で托鉢している。それも1時間くらいしか立たないけど、最高で2万円もらったことがある。私はチャラ銭(小銭)がほとんどない。信仰さえあれば、ちゃんと喜捨してもらえる。他の人らはそれがわかっていない」