39歳で大阪へ
39歳のときに大阪の釜ヶ崎に移った。
しかし仕事が続かないのでやがて困窮するようになり、48歳のとき、とうとう木賃宿を出てホームレスになった。日本経済が下降線を辿っていた1998年5月のことで、ヒロユキも若者ではなくなり、気が付けば仕事を選べなくなっていた。
「顔付けしていた会社の仕事がなくなって、ドヤ代(宿代)を払うために飯もろくに食えない状態になった。他の会社で日雇いするにしても、そもそも他の会社も仕事がない。新顔だと中々とってくれなくなったんだ。だから食事はとらないで、1泊1000円のドヤ代だけ払う毎日だったな。炊き出しもあったけど、あれは初めてだと恥ずかしくて、なかなか並べないんだ。だからなるべく寝て、1日に300円の弁当1個食べてしのぐ生活が1ヵ月くらい続いて、ついにお金が無くなって野宿した。最初は恥ずかしいし、どこで寝たらいいのかわからなくて、南港の方まで彷徨って暗がりで寝た。だけど野宿したら、炊き出しにも並べるようになった」
胴体を段ボール箱に包んで踊り狂う「箱男」
野宿することで仕事にあくせくしなくても良くなったヒロユキは、詩作やパフォーマンスなどの表現活動を行うようになる。若くしてドヤ街で暮らしていたこともあり、この点は他の多くの日雇い労働者とは一線を画していた。
自作の詩を大声で朗読し、段ボール箱から手足だけを出して踊り狂う「箱男」などのパフォーマンスを繰り広げ、ホームレスの援助活動をしている関係者の間では評判になっていく。
「箱男というのは、段ボールハウスから出たいけど、出られないという意味ですか」
そう私が何気なく訊ねると「いや、箱から出たくない男なんだ」と言う。安部公房の代表作『箱男』から着想したのだという。箱を被った元カメラマンのホームレスが、様々な出来事に巻き込まれるシュールレアリスム的な小説だ。安部公房はホームレスを排除する現場に立ち会ったとき、箱を被ったまま抗議する男を見たのをきっかけに着想したと言われているが、それが今度は本物のホームレスによって演じられていたことになる。
写真しか残っていないが、胴体を段ボール箱に包んで踊り狂うヒロユキの箱男は、何ともいえないコミカルさと凄みがある。
「その頃一番つらかったのは、自分を理解してくれる人がいないということだったな。本心を話せる人がいないのが、お金や食べ物がないのと同じくらい、つらかったな……」
「本心を話せる人」とは、恐らく家族、友人、恋人とも言い換えることができるだろう。「箱から出たくない箱男」には、ヒロユキ本人の切なる思いが込められていた。
「もうこの頃になると、金がないからってパッと仕事行くってこともできなくなったし、ドヤ代を稼がなくてよくなったから、べつに仕事に行くことに悩まなくてもよくなった。それでアルミ缶を集める仕事したり、自分ができることだけをするようになった」
【続きを読む】48歳でホームレス、野宿歴は20年以上…70歳を超えた男性が「今が一番、幸せだ」と力強く語る“切実な理由”