駐車場や道路上で托鉢して、喜捨があるとは驚きだった。しかも札がほとんどだと言う。ナベさんはそれを信仰のせいだと言っているが、何か特別なコツがあるのだろう。
「私は何もしないでただ寝ているだけや。住民の方が怖い」
「野宿しててもな、この前の台風のときにオマワリがきて『住民から怖いと通報があった』と言っとったけど、私の何が怖いねん、お前らの方が怖いわッ。オマワリは『お大師さんの時代と違うんだから』と言っとったけど、住民の方が怖い。私は何もしないでただ寝ているだけや。みんなルンペンが寝てると通報するけど、よくそんな他人のことを悪く言えるなあと思う。みんなゾンビのようなものだ。死んでるのに身体だけ生きている、ゾンビ人間ばっかりやッ」
話しているうちに次第に激高してきたが、どうも野宿遍路に対する世間の冷たさに憤慨しているようだ。
これからどうするのか、遍路生活が終わることがあるのかと訊ねると、ナベさんは笑顔になった。
「私は全てを捨ててきたつもりだったけど、26年間、年金をかけていたことがわかってなあ。香川で世話になってる人が『大阪で真面目に仕事していたんなら、年金はどうしたんだ』と訊いてきて、その人が役所で調べてくれたんだ。私は年金のことなどすっかり忘れていたんだけど、そしたら数年分の年金、数百万が支払われてびっくりした。それを元手にして、もう足が悪くなって歩くのがつらかったから原付で回ろうと思って、高松で原付の免許とって、単車を買ったらそれで回ろうと思ってる。仏は7、8年修行したと言われてるけど、私はもう12年歩きつづけてきたから、自分でもよくやったと思ってる」
もう73歳だからそれもいいと思うが、100キロもある大きなこの荷物を原付バイクに載せられるのだろうかと訊ねると「うーん、それはこれから考えないかんな」と言う。
「旅の終わりもお不動さん次第。やっぱり我があると駄目だな。年金が支払われたとき、お不動さんがお疲れさまと言ってくれてるんだなと思った。これからが私の第三の人生なんだ」
毎日巡礼ヒロユキの場合
私にとって托鉢の師匠であるヒロユキ(仮名)がなぜ、草遍路になったのか。
托鉢と門付修行を終えた後、その半生について話を聞くことができた。
「生まれは東京の世田谷、弦巻の社宅だよ」
いまでは都心の一等地だが、私はあまり驚かなかった。以前から仕草や話し方にどことなく都会的な感じがあったからだ。
「父親は大手の建設会社に勤めてたんで、その社宅に住んでた。母親は専業主婦だね。4人兄弟の3番目。中学までは普通の子だったと思うよ。父母にもやさしく育てられたって覚えてるから。両親からは『内弁慶の外ネズミ』って言われた記憶がある。覚えてるのは本当に、それくらいだな」