しかし会報で紹介する料理には、名前がないと収まりが悪い。長村さんは「あの頃、日本でイタリア料理ブームが起きていました。だったら『ちっこを固めたの』をそのままイタリア風にしてみようと、チッコカタメターノと名付けて載せました。この名称を論文で紹介した研究者がいたことなどから、固有名詞として定着していきました」と話す。
当時はチッコカタメターノをイタリア料理に使う人はいなかったにもかかわらず、という点も含めて興味深い。
どんな料理に使われている?
保存会では2016年、棚田で収穫した米などを使う古民家レストラン「ごんべい」を開店し、チッコカタメターノ料理もメニューに加えた。現在提供しているのはチッコライスバーガー、嶺岡ちっこ米めん、嶺岡ちっこ丼、嶺岡鍋定食の4種類で、いずれも保存会の創作料理に近い。「嶺岡」とは保存会がフィールドにしている山系の名称で、標高408 mの最高峰は千葉県で最も高い。
嶺岡ちっこ米めんと嶺岡鍋定食は、めんや鍋にチッコカタメターノをそのまま載せたり入れたりした。
嶺岡ちっこ丼は前出の炒め煮をご飯に載せた。ちなみに石田さんが食べていた炒め煮は「チッコカタメターノの中に、たまにネギが入っているぐらい」だったが、ごんべいで出す丼には野菜がふんだんに使ってある。
最も人気があるのはチッコライスバーガーだ。チッコカタメターノとタマネギ、タマゴをパテ状にして焼き、ご飯でサンドしている。味付けは醤油や砂糖、酒なので純和風。「嶺岡山系の成り立ちなどを学びながら歩くツアーで、昼のメニューとして出すとすごく喜ばれます」と保存会事務局は話す。
こうして、酪農家だけで食べられていた料理の発信が始まった一方で、地元でチッコカタメターノを食べる機会は減っていった。
安房地域の酪農家が減ってしまったからだ。
「酪農発祥の地」だった
あまり知られていないが、嶺岡山系の一帯は日本の酪農をリードしてきた土地だ。
歴史を振り返ると、古くは馬の放牧地だった。
これを江戸初期まで10代170年間にわたって安房の国を支配した里見氏が「嶺岡牧」として軍馬の育成牧場に整備した。江戸時代のベストセラー『南総里見八犬伝』のモデルとなった大名家である。里見氏が1614年、倉吉藩(現在の鳥取県倉吉市)に改易されると、嶺岡牧は徳川幕府が没収した。
徳川幕府が嶺岡牧の経営に積極的に乗り出したのは第8代将軍吉宗の治世だ。享保の改革の一環として再整備し、牧の外周は70kmほどに及んだ。ここにオランダからペルシャ産馬を入れるなどして改良を進めた。1728(享保13)年には、インド産の白牛も3頭加えた。当時、幕府の直轄牧は他にも千葉県内に2カ所(小金牧、佐倉牧)、静岡県に1カ所(愛鷹牧)あったが、酪農が行われたのは嶺岡牧だけだった。
幕府はこの白牛を増やして、搾った牛乳で「白牛酪」を作った。キビ砂糖を入れてゆっくり煮詰め、生キャラメルを乾燥させたようなものだったとされている。強壮剤や解熱剤として使われた。当初は将軍への献上品だったが、製造量が増えると日本橋の玉屋という店で一般に販売された。