巣鴨プリズンに消された川跡
さて、ここから水窪川の跡を下流に向かって辿って行くが、首都高を越え東池袋駅付近までの区間は、全く痕跡がなくなってしまっている。その最大の原因となったのが「巣鴨プリズン」だ。
現在サンシャインシティとなっている場所は戦前まで東京拘置所だった。これを戦後米軍が接収し「巣鴨プリズン」と改称、戦犯を収容するのだが、このとき水窪川の暗渠沿い一帯の土地もあわせて接収された。そして窪地を埋め立て整地して、職員のアメリカンフットボール場と農場にしてしまう。
巣鴨プリズンは1958年に返還され再び東京拘置所となるが、フットボール場はその前後に地下鉄丸ノ内線の建設残土でさらに埋め立てられ、平坦にされる。現在のアウルタワーやライズシティはこの時できた街区に建っている。
このような経緯で、戦前までは緩やかに曲がる道として辿れた水窪川の暗渠はあとかたもなく姿を消し、地形の痕跡すら失われてしまっている。アウルタワーの南側まで進むと、水窪川はようやく路地として流路の跡を辿れるようになる。
喧騒を抜けて静かな住宅地の裏側を縫っていく
姿を現した水窪川の暗渠は、ここまでの喧騒やビルに囲まれた街並みとは一転した静かな住宅地の裏側を縫うように緩やかに下っていく。やがて現れる都電荒川線の線路につかず離れずでしばらく進むと、正面の小高い土地に公園「イケ・サンパーク」が見えてくる。
1939年から2016年まで造幣局東京支局の敷地だった場所だが、昭和初期まではここも東京拘置所の前身、巣鴨監獄の一部だった。そして公園となる前は、水窪川の暗渠に面して巣鴨監獄時代の石垣が残り、その下には監獄内の排水を水窪川に流すためとみられる排水口の石組みの遺構があった。石垣は取り壊されたものの、石組みは跡地にできた「イケ・サンパーク」に無事保存されている。