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神田川にかかる江戸川橋に立ち川面を見下ろすと…
小日向の崖下を抜けるといよいよ流末だ。暗渠の路地が突き当たる巻石通りには、かつて神田川より分岐した神田上水が流れており、水窪川はその下を石樋で潜って直進し、神田川に注いでいた。
神田上水は江戸時代初期に開削され、明治半ばまでは江戸城東側の武家地や町人地の上水道として、その後1933(昭和8)年までは小石川の東京砲兵工廠の工業用水として利用された。上水は1876(明治9)年には水質保全のため石蓋をかけ暗渠化されているが、この蓋を「巻石蓋」と呼んだことから通りの名がついている。
神田川にかかる江戸川橋に立ち川面を見下ろすと、橋のたもとに大きく口を開けた排水口が見える。一見ここが暗渠の合流口に見えるが、管理上は弦巻川の暗渠で、水窪川の暗渠は橋の西側に口を開けている。現在はいずれも下水化された暗渠が豪雨でオーバーフローした時のみ、ここから水が流れ出てくる。
水窪川は暗渠になってから90年以上が経ち、川そのものの遺構は多くはない。それでも歩いてみればその景観と地形は川の記憶を各所に留めている。そして、それぞれの場所で水と関わりながら展開されてきた、江戸時代から戦後にいたる地域の歴史が水窪川の失われた水面=暗渠を通じて一本のラインでつながり、土地に積み重なった時間が立体的に浮かび上がってくる。水窪川の暗渠は、都市のなりたちに想いを馳せながら散策するのに絶好の暗渠といえよう。
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