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記録にはない、記憶だけの歴史

 ことの経緯はこうだ。たまたま、この店の担当不動産会社が、自身が関わっていたプロジェクトで面識があった「フタミ商事」だったこと。たまたま日本の性的マイノリティーのライフヒストリーを集める企画に関わっていて、半世紀続いた店に興味をもったこと──。

 いくつかあった小さな点が、この時いきなり線としてつながってしまった。気がつくと、松中は店の片付けを手伝い始めていた。

 看板が残っているだけで、20年以上この街に通う彼でもまったく知らない常連たちがふらりとやってきて店や街の思い出をひとしきり語って帰っていった。おそらく本当に知っている人にしか明かすことができなかった秘密を、店のなかにいたからという理由で語る人々がいた。この街には、本人だけが秘めている歴史がある。記録にも残っていない、記憶だけの歴史がある。1月に引き継ぐことを決めてからというもの、彼にとっては気づきの連続だった。

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 路面に向けて設置してあるすりガラスも、小さな入り口もプライバシーを守るために必要な仕掛けだった。外から見つかりにくく、誰がいるかもわからないが、光と人間の影だけで開いていることと、人の在不在を伝える。もう少しばかり広い視野から、こう考えることもできる。小さな店がずらりと建ち並ぶ新千鳥街というエリアそのものが、匿名になり街に紛れ込むことができる空間だった。これだけ店があれば、誰かに気がつかれるリスクはぐっと低くなる。どこかの店にさっと入ってしまえば、あとは誰にも見られることなく、店内で語られる話は口外されない。それは、自分を隠す必要がないという安心感を生み出す。

自分に嘘をつく必要がない街

 思えば、松中にとって二丁目は22歳にして初めて自分に嘘をつく必要がないことを教えてくれた街だった。彼はこんなことを書いている。

友人ができ、喧嘩もし、恋をして、恋に破れ、悩みを語り、未来を語る。(中略)ただそれだけのことが、当たり前にできない社会だから。新宿二丁目が必要だったし、今も必要なのです(2020年5月5日付ハフポスト日本版)

 ゲイであることに気がつきながら、大学生までゲイであることに悩み続けた彼の人生を救ったのは、二丁目の歴史だった。あるいは、彼が関わってきた運動のベースになっていたのも、歴史だった、と言えるのかもしれない。

 本当なら4月オープンの予定だった新生「洋チャンち」は、新型コロナウイルスの影響でオープン自体を延期することになった。クラスター発生が懸念されている「夜の街」でもある二丁目では、閉店を選ぶ店も少しずつ出てきた。その中にあって、営業再開を模索する店主たちは、自分たちで感染症専門医とともにガイドラインを作り、守るよう呼びかける活動を始めた。だから彼らは彼らで自発的に動き出した。