「洋チャンち」の引き継ぎ先
芸術かわいせつか。同時代には議論を巻き起こしたメイプルソープの作品は、今では一級の芸術作品として評価され、影響を公言する写真家が次々に現れている。では日本はどうか。長谷川の思いは深い。
「日本にもゲイカルチャーが確かにあったよ。僕には矢頭さんの作品は、メイプルソープよりゲイ的なエロスが充満していたように感じられた。そこに注目した研究はあまり多くはないけど、文化を支えていたのはゲイ産業だよね。バーや雑誌がまさにそう。狭いお店に、みんなが集まって話をしていたから、文化的にも濃密なものが生まれる」
洋ちゃんもそんな文化を支えてきた一人だった。浅草のゲイバーで使い走りから始まり、わずか2.5坪の店を開けながら、この街の変化を見つめ続けてきた。チャーミングな人だった。長谷川が新宿の蕎麦屋でたまたま会ったときのことだ。お互い少し離れて座っていたところ、従業員が長谷川の頼んでいない蕎麦を持ってくる。
「これは、あちらのお客様からです」
「洋ちゃん、バーじゃないんだから」と苦笑しながら、蕎麦を手繰る。
長谷川は、そんな洋ちゃんの声を記録したものがあまりにも少ないことを後悔している。戦後を最初期から知る人々は次々と鬼籍に入る。誰にも語らず、残さないことを美学としているかのように……。
2020年6月、「洋チャンち」の看板は残っていた。黄色の地に黒の太字でシンプルに店名だけが書かれた看板である。残されたのは、引き継ぎ先がすぐに見つかったからだ。
「勢いだけでやりますって言ったんですよね。洋ちゃんと直接の面識はないし、何もしなくても二丁目は人気だからすぐに店は決まったでしょう。でも、それだとお店の歴史ごと無くなっちゃうんですよね」
引き継ぐと言ったのは、「ゴンちゃん」こと松中権である。このとき44歳で、もう人生の半分を「二丁目」とともに過ごしてきたという。元電通社員であり、今のLGBT運動をリードしてきた一人でもある。長谷川が作った雑誌も読み、彼とはいくつかの活動もともにしてきた。この話を聞いた時、長谷川も驚いたと語っていたが、最も驚いたのは口に出した当の本人だろう。