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本木雅弘さんより「おくりびと」としては“先輩”

――納棺師としては月にどれくらいの件数を担当されているのでしょうか。

おくりびと青木 福島では、1か月のうち多くて6件とか7件くらいですね。やっぱり田舎っていうのもありますし、近所にも葬儀会社ありますので、件数的には少なかったりします。

 東京でやっていた時は、1日3件、4件は当たり前でした。1年だと700~800件ですね。今までの合計でいうと何万件と担当させていただきました。

納棺師として勤務するおくりびと青木(提供:松竹芸能)※人物はマネキン

――2008年に公開された映画「おくりびと」がヒットしましたが、その前から納棺師として働かれていたのでしょうか。

おくりびと青木 はい、そうですね。なので「おくりびと」の本木雅弘さんよりは“先輩”になります(笑)。

30人入って、あっという間に29人辞めていきました

――「おくりびと」の映画が公開された当時は何か反響はありましたか。

おくりびと青木 おかげさまでありましたね。当時、納棺師の専門の会社にいたのですが、映画が公開される前は毎年、入社希望者が1人か2人ぐらいだったんです。でも映画が公開された当時は30人ぐらいの応募がありました。ただ、入社を希望する理由で多かったのがお給料の面でして、実は映画の中でお給料が50万円と言っているんですよね。「新人で50万だったらこれはすごい仕事だな」っていうことで入ってくる方が多かったんですけど、実際に働き始めてお給料と実際の仕事内容を知っちゃうと、すぐに辞めていく方が多かったですね。

――皆さん続かなかったんですね。

おくりびと青木 やっぱり続かなかったですね。30人入ってきたんですけど、29人辞めていきました(笑)。あっという間に辞めていきましたね。どうしてもご遺体と対面した時に臭いだったり、見た目とかに気持ちをやられてしまって、その場で帰ってしまう方もいらっしゃいました。

――やっぱり精神的に辛いお仕事なんですね。

おくりびと青木 そうですね、誰でもできる仕事かっていうとそうじゃないなとは思っていますので。人によって合う、合わないはあると思います。

 あと、うちは完全に家族経営なので、本当に24時間休みがないというか。深夜2時だろうが4時だろうが関係なく病院や警察から呼び出されます。病院はずっとご遺体を置いておけないので、亡くなったらすぐに運んでくださいというようなかたちで。あまりにも慣れすぎてしまって、夜中でも気持ち良く電話が取れるようになりました。大体23時以降の電話はそれなので。

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