文春オンライン

炎上劇で改めて感じた、プロとしては自分の持ち場で頑張っていくしかないのよねという結論

結局、誰が「老害」をつくるのか

2021/12/16
note

古き良きメディアで「本の魅力を伝える」意味って

 問題は、社会生活を送るうえで新しいサービスがどんどん出てきて人が流れ流されていく状況で、古き良きメディアや仕事の仕組みでモノを売ることにどれだけの意味を持つのかという話であります。

 単純な話、人通りの多い駅前で露店を出して本を売っていた人が、車社会になって駅前からロードサイドに人の流れが奪われてしまったときどうするかということですよ。駅前の書店で本を扱うのが正しい売り方だと思ってる人と、アウトレット店の前にやってくる人に合わせた形態で本を売るほうがよいと考える人の違いとでも言いましょうか。

 そして、新聞からラジオ、雑誌やテレビ、そしてネットと移り変わる花形メディアの変遷と併せて、人に見てもらえる情報の伝え方も変わってきます。豊崎由美さんのように作家・石原慎太郎さんを酷評して名を上げたときは石原作品も書評もまた活字主体だったのに対し、いまや「本を読む」ことが特定の人の趣味となった状況で、「活字で本の魅力を伝える」ことにどれだけの意味を持つのか。

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ユーザーが使えるツール類は激増している今

 そのネットでさえ、元のパソコン通信からインターネットに移り変わり、匿名掲示板からmixiのようなSNS、ブログ時代、ニコニコ動画やYouTubeのような動画サイト、最近ではビデオチャットやVRチャット、ユーチューバーからVTuber、SNSもFacebook(Meta)やTwitter、InstagramにTikTokと乱立し、動画配信もVimeoにTwitchとユーザーが使えるツール類は激増。人の流れもゴチャゴチャになって、誰が何をすればどのくらいの注目を集められるのかすら、きちんとキャッチアップしていかないとすぐにオワコンにされてしまうのが現状だと思うんですよ。

「本を読む」がすべての人が為す行為から一定の物好きの衰退ジャンルになったいま、本というマテリアルを出版することにいくら出版社やモノ書きがこだわったところで、ネットで炎上することはあっても、売上に繋がることも次の仕事に化けることも減ってしまったというのが現状だと思うんですよね。