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炎上劇で改めて感じた、プロとしては自分の持ち場で頑張っていくしかないのよねという結論

結局、誰が「老害」をつくるのか

2021/12/16
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「老害」vs.「老害批判」

 自分が成功してきた軌跡にこだわり、新しい潮流に対して否定的な態度を取ることを総じて「老害」と呼ぶこともまた多いわけなんですが、一方で、自分の発表したものを愛してくれる確たる客がおり、そこの枠内で充分に喰えているということならば、老害批判をされても「それが私の商売である」ということで許容されるわけです。

 豊崎由美さんのいう、「TikTokで本が売れた、それがどうした」という喝破もまた、そこで本が売れようが、私には私の客がいてそっちできちんとソサエティができておカネが回り読者が喜んでいる状況が確保できているのであれば、立派にビジネスとしても成立し、誰に文句を言われてもちゃんとやれてるじゃないかという話にもなるのです。そして、老害批判をする側は、そういう水面下のところでモノ書きとファン層との間で成立しているソサエティが見えていませんので、「なんだあの時代遅れは、新しいことに挑戦している他人の足を引っ張るな」という批判になりやすいのです。

写真はイメージ ©️iStock.com

「決まった客だけ相手にしていれば食える」商売の行く末

 とはいえ、本当に決まった客だけ相手にしていれば食えるという駅前のスナックみたいなビジネス形態では、概ねにおいて「読者と一緒に歳を取る」ことになり、やがて限界集落になって、存在が社会から消えていきます。老舗の天ぷら屋が営業不振で惜しまれつつ閉店するけれど、閉店を惜しんだところで店をたたむことになった理由こそ、お前ら惜しんでるやつが日頃その天ぷらを喰ってなかったからだという話に尽きます。

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 同じように、昔は山ほどあった地域コミュニティFMもリスナーの高齢化と共にほぼ壊滅状態となり、ラジオも頑張って若い人に訴求するけど広告効果が乏しくどんどん予算が縮小される現象があります。そのメディアで情報を入手している人たちが高齢化すると、メディアごと、そこで活躍している番組や著名人ごと、歳を取っていってしまうのはもはや摂理だと言えます。