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「もう何をしても無駄や」

 実は去年すべての番組を降板し、芸能界を引退しようと考えました。きちんとお話しするのは初めてですが、本気でした。コロナで鬱々した気分が抜けないし、人生を賭けた冠番組が突然なくなったからです。

 長い自粛生活でずっと目の前に霧がかかっているような気分がしています。サウナに入ると最初ちょっと息苦しいでしょう。それと似た感じで気分がスカッとしないし息が詰まるんです。読者の皆さんもこんな感覚はありませんか。

 昨年の夏頃から仕事と生活の両方で、完全にやる気を失いました。化粧もしないし、美容院にも1年ほど通わず、髪の毛は自分で切っていました。コロナのせいで「もう何をしても無駄や」と、何もかも投げやりになっていたのです。

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 自堕落な生活を続けていたらあるときかかりつけの医者から「血糖値が高すぎる。これ以上数値が上がったら大変だ」と指摘されました。

 父が糖尿病を患っていたこともあり、「これはまずい」と規則正しい生活を送るようになった。すると健康状態が一気に良くなり、精神的にも楽になった。それから美容院にも通いはじめ、毎日1000円ほどの顔パックもするなど、身の回りに気をつけるようにもなりました。ようやく元気を取り戻してきたところです。

 姉と組んだ漫才コンビ「海原千里・万里」で、プロの舞台に上がってから50年以上が経ちます。

海原千里・万里時代 ©共同通信社

 NHK紅白歌合戦の司会を2度務め、冠番組も4半世紀続いている。具沢山のチラシ寿司みたいな幸せな人生です。でも決して楽な道のりではありません。

 まずお笑い芸人になるつもりはなかった。嫌で嫌で仕方なかったんです。今でこそ芸人はスター扱いですけど、私たちがデビューした頃は「笑いもの」。うら若き乙女が好き好んでやる仕事じゃない。銀行員だった父が夢を諦めきれず、娘2人を芸能の道に送り込んだのです。

 当時は女性芸人が珍しく、大変な思いばかりしました。

 10代の頃、学校からそのまま仕事の現場に入っていました。制服姿が可愛かったからでしょうか(笑)、ずいぶん妬まれました。楽屋に置いた私物が無くなることも度々です。

 大阪・梅田の小さな劇場で漫才した時のこと。お姉ちゃんの顔がいつもと違って、眉毛が落書きみたいになっている。化粧道具を盗まれ、眉毛がうすいお姉ちゃんは、ボールペンで眉を描いていた。お客さんは誰も気づいていないんですが、私一人吹き出しそうでした。