人生でいちばん傷ついた「怪傑えみちゃんねる」終了
「実家は大阪城」「琵琶湖は次男に生前贈与した」「通天閣はうちの物干し台」。30年近く出演したNHKの「バラエティー生活笑百科」で散々ホラを吹いてきましたが、「ホラは吹けども嘘はつかない」が私の信条です。
昨年、その禁を破ってしまいました。25年間続いた「怪傑えみちゃんねる」(関西テレビ)が7月に終了した時のことです。
本来なら改編期の9月で終わるところ2カ月前倒しで番組が終了したこと、最終回できちんと私の口から挨拶しなかったことで、様々な噂が飛び交いました。
番組終了について、ラジオで〈関西テレビさんには感謝している。足を向けて眠れません〉と説明しましたけど……ウソです、大ウソです。足を向けて寝っぱなしです(笑)。
はっきりいって人生でいちばん傷ついた出来事でした。傷つけられて、傷つけられて、傷口に粗塩をすり込まれて……。関西テレビは主人の古巣なので、あまり言いたくないですが、本当にショックでした。「えみちゃんねる」は25年間、魂を込めてきたライフワークだったのに、「こんな終わり方をするのか」って。いきなり緞帳を足の上にドーンと落とされた感じです。
番組終了の原因について今さら蒸し返しませんが、「人間って本当に恐ろしい生き物やな」と改めて痛感させられた。人を恨んだらあかんと頭では分かっていますが、いまでもやっぱり悔しいですね。
この番組には次男も構成作家として関わっていたので、女性週刊誌に「職権乱用した」「次男が出演者に嫉妬した」などと面白おかしく書き立てられました。
次男は、10年ほど前、番組の視聴率が10%を切りそうになった時、「オカンが自分の話ばかりするからあかんねん。ゲストの話を引き出す構成にしないと息が詰まる」と指摘してくれた。それで私が「じゃあアンタやってよ」と。それから彼が番組作りに関わるようになった。
彼のおかげで番組の寿命は10年延びました。「親バカ」と言われるかもしれませんが、それは違います。私は16歳から漫才師として舞台に上がっていますから、彼に笑いのセンスがあるかどうかぐらい分かります。身内贔屓ではありません。
週刊誌に書きたい放題書かれましたが、言い訳するのはみっともない。「きちんと反論を載せましょう」とオファーを受けたこともありましたが、次男と「ここは辛抱しよう」と口を噤んできました。
コロナで鬱屈したところへ生きがいだった「えみちゃんねる」が終わり、マスコミのバッシング……。
私の中で魂の火が消えていくのが分かりました。このままでは精神的にもたない。全番組を降板し、ハワイで余生を楽しく過ごそうと決断しました。しかし「ちょっと待て。今は辞めるタイミングと違う」と心の声が聞こえてきたのです。
(後編へ続く)