言葉が通じないなら、この世界に「安全」が存在することを体験し、身をもって知ってもらう他に術はないでしょう。
こうして休息していた「みなも」に突然の変化が起きました。すっと立ち上がり、見たことのない形相で鋭い視線を辺りに投げかけたとき、私はすぐに「亡霊」であることを悟りました。そして私は、ついに登場してくれたことに喜びさえ覚えたのです。人の前では決して姿を現さないはずの人格が、出てもよいと自分で判断したのだから。
やがて……、「亡霊」の視線は私を捕捉しました。瞬く間にテーブルを回り込み私へと突進し、首絞めの態勢に至ったのでした。
その後、「亡霊」は次の「ちゃむ」のカウンセリング中にも姿を現してくれました。同じように憎悪に満ちた視線を投じると、私の首めがけて例のアクションを起こしました。このようなセッションがさらにもう1回続きました。しかしその力は明らかに弱く、短い時間となり、それを最後に二度と私の前に現われることがなくなったのです。
「邪魔な人格は出て来てほしくない」
「ちゃむ」はよく言っていました。
「邪魔な人格は出て来てほしくない」
これに対する私の返事は徹底していました。
「どれも大切なこころなんだよ」
「消してしまうのは可哀そう」
「私はみんなと仲良くしたい」
この言葉が形だけのものだと疑っていた早苗さんの中の人格たちには、偽善を試す必要性が出てきたのだと考えています。「亡霊」は、カウンセラーの語りを打ち砕くために最強の役割を担っていたのでした。私は好ましくない人格を消そうとしたり、無理に統合させようとしたりはしません。しかし結果として、以降、早苗さんから無意識的な他害行為は影を潜めたのでした。
解離性同一性障害は本当に存在するのだろうかと疑念を抱く人がいるかもしれません。実際、その診断を受けていても違っていることがありますし、自称解離性同一性障害に過ぎない場合もあるようです。見分けるポイントを要約すると、本人に他の人格状態についての自覚がないこと、他の状態をコントロールすることができない点になります。どんな人でも、状況によって言動や性格は変わるもので、それによってむしろ適応を後押ししているともいえるでしょう。これに対して解離性同一性障害の人は、いつ、どこで、誰が出てくるのかがわからず、あとから結果を知り、自分に対して恐怖心さえ抱いているのです。
それでも、本人の自覚が及ばない深層で、各々をつなぐ大いなる知恵が息づいていることを、私は信じています。
付記 本稿で取り上げる事例は、可能な限りご本人の了承を得て、かつ必要に応じて個人が特定されないよう小修正を加えて執筆するものです。