「何人ものカウンセラーのところに行きましたが、私が解離性同一性障害だと言うと、どこでも敬遠されました」カウンセリングルームでそう話すのは早苗さん(仮名)、31歳。

 いつ、どこで、誰が出てくるのかがわからず、あとから結果を知り、自分に対して恐怖心さえ抱いてしまう「解離性同一性障害」。ここでは、公認心理師である長谷川博一氏が、早苗さんとのカウンセリングから見えてきた、暴力的な人格を持つ「亡霊」の存在について紹介します。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

患者から突然首を絞められ…

 突然、カウンセリングルームのソファーに押し倒された私の首には、勢いよく伸びた女性の右手指が食い込もうとしている。その瞳はカウンセラーである私の瞳を睨みつけ、その口は固く閉じて息の音すら漏らさない。

 私が窒息してはならないのは、この人を加害者にしてしまうかもしれないから。心理治療をするためには、今こそ一貫した態度で接し続けなくてはならない。

 そう考えながらゆったりと冷静な眼差しを維持していられたのは、きっと幾多の修羅場をくぐり抜けてきたからに違いありません。

 人のこころの仕組みはとても複雑で、時に小説かと疑うような事象をも引き起こします。この心理臨床という「闘いの場」に立ち続けた者だけが、真実の一端を知り、回復を諦めずに協働できるのだと信じています。この人の暴力性には必ず相応の事情があり、何より変わりたいからこうして私に会いに来ているはずなのです。

 私は頸動脈を絞められないギリギリの際で止めるため、右腕を目一杯に伸ばしてその鎖骨を押し返し、左腕はもう片方の手首を握り、ゆっくりと声をかけ続けたのでした。

「あなたは何も悪くないんだよ」

「自分のこと悪い人だと思い込んでいるかもしれないね」

「どうしようもなかった出来事があるはずだよ」

 10分近い膠着状態ののち、急に腕を弛緩させたかと思うや、そのままソファーに崩れ、昏睡状態に陥ったのでした。

 この人は早苗さん(仮名)、31歳。

 当初から「何人ものカウンセラーのところに行きましたが、私が解離性同一性障害だと言うと、どこでも敬遠されました」と、寂しげに微笑みながら吐露していたことが思い出されます。その症状にとても困り、かなり疲弊しているようでした。

©iStock.com

 解離性同一性障害は、かつて多重人格と呼ばれて広く知られています。自己認知や記憶、感情、感覚といった精神機能の連携が破綻してしまい、結果として一人の人間の中に複数の「自分(アイデンティティ)」が存在し、それぞれが知らないうちに勝手に活動してしまう状態です。死のうとする人、怒りにまみれた人、甘えたい人、怖がりの人、理屈っぽい人、優しい人などがいて、自傷他害のリスクが伴い、治療者も振り回されることになりがちなので、投薬治療をする医師はいてもカウンセリングや精神療法で回復を試みる専門家が少ない現状があります。