「大したことではないんですけど……」と、カウンセリングルームに足を運んだのは3度の自殺未遂を経験した女子大学生。彼女の生い立ちを聞いていくにつれて見えてきたのは、歪な家族関係だった。彼女はなぜカウンセリングを受けることを決めたのか。公認心理師である長谷川博一氏が、その理由を紐解きます。(全2回の2回目/最初から読む)
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「本当にお母さん、可哀そうな人だから」
21歳の大学生である心菜さん(仮名)が自殺しようとして失敗したのを機に開始されたカウンセリングが3回目になりました。私は両親の協力が必要だと考えていました。
「お母さんにカウンセリングに来てもらうことはできそうですか?」
心菜「難しいと思います」
「どうしてそう思うのですか?」
心菜「お母さんは私に関心がないから」
「関心がない訳を知りたいし、可能であれば関心をもってもらえるようになってほしいと思っています」
心菜「いいえ、お母さんはいいです」
「心菜さんが自分のことを認めていく上で、お母さんとの関係を見直すことは重要だと思うのですが?」
心菜「お母さんは……」
「お母さんは?」
心菜「巻き込みたくない感じです」
母親のカウンセリングに話題が及ぶと心がかき乱され、かなり消極的になりました。母親がDVの被害者だと認知しているからでしょうか。
「お母さんが可哀そうだから?」
こう尋ねると、心菜さんは再び大粒の涙をこぼし始めました。
「ずっと、お母さんの愚痴を聞いてました」
仮にDVの被害者であっても、その関係を打開しようと努力をしないで、子どもへの面前DV(18歳未満の子どもの目の前で家族に対して暴力をふるうこと)が繰り返される結果を招いているとすれば、とても悲しいことです。いずれ子どもが大きくなったときに、被害者だった親に対して怒りがこみ上げ、新たな感情に苛まれるケースにも多く接してきました。
「お母さんが可哀そうって思うことが、後遺症、つまり自己否定の原因だと考えていいのかもしれません」
心菜「本当にお母さん、可哀そうな人だから」
「喧嘩の後に、お父さんに暴力を振るわれていたから?」
心菜「いえ。口喧嘩はお母さんのほうが強かったし」
「するとお母さんが可哀そうな理由は、他にあるということ?」
心菜「よくわかりませんが」
「はい」
心菜「ずっと、お母さんの愚痴を聞いてました」
「愚痴の聞き役だったの?」
心菜「はい」
「それはいつ頃から?」
心菜「気づいた時には、小学校に上がったときには」
「それからずっと?」
心菜「一人暮らしするまで、です」
「とすると、大学に入るまでですね?」
心菜「はい」
「愚痴を聞きながら、可哀そうって思っていたの?」
心菜「うーん、役に立ちたいって」
「お母さんには話を聞いてあげる人が必要だと思っていたんですね」
心菜「はい」