陰の主役だったのは…
こうして見ていくと、「21年政局」の陰の主役は参院選だったとさえ言えるのではなかろうか。
振り返れば、自民、公明の連立政権ができたのは参院の事情による。1998年の参院選で自民党は大敗し、当時の橋本龍太郎首相は退陣に追い込まれた。代わって小渕恵三内閣が発足したものの、参院は自民党単独では過半数に遠く及ばず、政権運営はたちまち行き詰まった。そこで、まず旧自由党と連立合意したうえで、公明党との連立に踏み切ったのだ。
政権の枠組みを決める参院選
私たちは衆院選を「政権選択選挙」と呼んでいるが、現実には参院が政権の枠組みまで決めているのである。
敗戦直後、GHQが求めたのは貴族院を廃止して一院とする案だった。二院制が維持されたのは「一院だけの選挙では社会主義政権が誕生しかねない」などと心配した日本側の要請による。
ところが今や、与野党勢力が衆参でねじれた時には、参院は「決められない政治」の元凶と言われ、解消されれば「衆院のカーボンコピー」と揶揄される。
かねて私は、憲法改正は二院の役割分担を明確にすることが最優先だと考え、参院は都道府県代表と明記するのも一案だと思ってきた。何より、「政局の府」から脱皮する方策を与野党で検討することが、国会の再生につながると考えるからだ。今回のコロナ禍のような場合、与野党の対決を超えて冷静に政府の対策をチェックし、修正していく場が必要ではなかろうか。そんな危機管理としての参院改革論議があっていい。それが新型コロナが残した教訓でもある。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2022年の論点100』に掲載されています。