そんな太田の言い分に、志位はあくまで冷静に「東京裁判っていうのは戦争犯罪を裁いたという点では合理性があったと思います。ただし、アメリカの原爆など裁かれなかったものもある。(それでも)侵略戦争を裁いたという点は肯定的に考えなくちゃいけない」と返していたのだが、やはり話はちぐはぐなまま終わった。
ここでの太田の発言は、彼自身が整理しきれていないところもあり、先の岸田首相への質問以上に主旨が伝わりづらかった。とくに「東京裁判からやり直すぐらいの覚悟」という発言は、ちょっと唐突で、ここだけ切り取ってしまうと誤解を招きかねないだろう。
雑誌コラムでも同じ趣旨の発言
じつは太田はこれとほぼ同じことを雑誌の連載コラムに書いていた。テレビでは意図が量りかねた主張も、以下に引用するくだりを読むと、それなりに理屈は通っていることがわかる。
《私は「九条」と「米軍」はセットだと思う。改憲派の主張通り、GHQは憲法で日本が今後永遠に武力を持てないようにし、代わりに自らの軍を置き、極東の守りを固めた。つまり「戦争に巻きこまれなかったのは、九条のおかげ」と「戦争に巻きこまれなかったのは米軍のおかげ」はイコール。同じ意味だ。右派と左派は同じことを言いながら対立している。もしかすると対立しているフリをしているだけなのだろうか。七十年以上も?》(※1)
戦後の日本が「九条」と「米軍」を両輪として軽武装・経済重視の路線をとってきたことは事実だろう。両方あってこそ平和と繁栄がもたらされたのに、どちらか一方を否定するのはナンセンスだという太田の指摘はけっして的外れではない。
なお、このコラムは昨年8月の安倍晋三首相の辞任表明を受けて書かれたものだ。太田はそこで、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を訴えながらも、実際にはそんな覚悟はなかったのではないかと疑問を呈した。例の「東京裁判からやり直す~」という主張も、ここでは以下のとおり安倍に対してぶつけられている。
《私は本気であの裁判は勝者による裁きで、不平等だと思っている。戦争責任は、戦勝国側にもあると。敗戦国側から公訴して戦勝国の責任も認めさせる。そこまでして初めて戦後レジームから抜け出せる。安倍さんにそこまでする覚悟はあったのだろうか》(※1)