植木等やビートたけしの粋なスタンスに憧れながらも、自分には合っていないと気づき、結局あきらめてしまった。かと言って松本人志のように、時事問題に対して大喜利と同じ感覚でコメントするという態度もとらない。考えてみれば、太田光ほど大喜利に不向きな芸人はいないだろう。
いまや与えられたお題に対していかにうまくボケるかで芸人の才能が評価される時代である。『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)はその発端をつくった番組のひとつだ。そこに出場する芸人には、常識外れの回答を連発して場の空気をかき回す者もいるとはいえ、大喜利という枠組み自体を破壊することはない。
「そもそも論」をしたがる太田光
しかし、そうした枠を壊さずにいられないのが太田光だと思う。かつてレギュラー放送されていた『爆笑問題の検索ちゃん』(テレビ朝日系)という番組は、ネット検索の結果をもとにしたクイズに芸人たちがボケも交えつつ答える一種の大喜利のような内容だったが、太田はそのMCでありながら、本題から脱線に脱線を繰り返し、ついには出演者たちから総ツッコミを受けるというのが毎度のパターンであった。
太田が既存の枠組みを壊さずにはいられないことと、「そもそも論」をしたがることは、何事も根本から疑うという意味でつながっている。しかし、そういうスタンスをとる者は、いまや空気を読まないとか、何が言いたいのかわからないとか、厄介者扱いされがちである。太田も今回の選挙特番でそのことを痛感したことだろう。
いまは亡き作家の橋本治は、かつて爆笑問題と対談した際、《この人たち、小学生のときから変わってない》と評したことがある(※3)。太田の肩をいからせて震わせるという動きにしても、普通は大人になると照れが出てきて封じられるものだけど、彼は小学生のままだから自然に出てしまうというのだ。
おそらく彼の発言にも同じことがいえる。小学生だから、思ったことを口に出さずにはいられない。それはともすれば乱暴な物言いになりがちだが、案外、本質を突いていたりする。そんな芸人はいまでは希少な存在だろう。だからこそ、たとえ本人がカッコ悪いと思っていても、太田光にはこのスタンスを貫いてほしいと思う。
※1 太田光『芸人人語』(朝日新聞出版、2020年)所収「十九 闘う政治家」(初出:『一冊の本』2020年10月号)
※2 『週刊文春』2010年2月4日号
※3 『広告批評』1998年9月号