そもそも女性は「優遇」されているか?
数十年前まで、女性は政治参加も、教育を受ける権利も認められておらず、家庭から出て仕事に就いたり経済力を持ったりすることも許されなかった。長きにわたり男性が独占し続けてきた政治・教育・就労に女性が参加できるようになったことは、女性が奪われ続けてきた権利が「本来あるべき形」に戻りつつあるだけであり、決して「女性優遇」によって男性の権利を侵害しているものではない。
男女間で大きな賃金格差があること、受験で点数を不正に操作され、女性の受験生が合格しにくくなっていること、女性議員が極端に少ないこと。芸術や文学などの賞に関して、審査員と受賞者のどちらにおいても、極端に男性が多いこと。
これらは今現在、日本で実際に起きている男女格差である。つまり、女性の人権はまだ到底「男性と平等である」と言える状態ではなく、まったくの過渡期であることがわかる。
しかしながら、一部の男性が「フェミニズムによって自分たちの権利を奪われている」と感じる現象を、カナダのジャーナリストであるレイチェル・ギーザは著書『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』(DU BOOKS)のなかで「権利の不当な剥奪感」と表現している。女性は不当に優遇され、不当に男性からパイを奪っているわけではなく、本来あるべき形の「平等」を求めているだけにすぎない。
男性の負傷者もいたことで「フェミサイド」を否定する人たちも
小田急線刺傷事件については、負傷者の中に男性もいたことが理由で「フェミサイドであるとは言えない」とする声も多く上がった。
しかし果たして、女性だけを殺そうと犯行を思い立った人間が、電車という狭い密室のなかで、女性「だけ」を次々に襲撃することは可能だろうか。最初に女性を切りかかったとしても、逃げ惑う人々でパニックになった車内で、「女性を殺す」という目的を果たす前に自分のことを取り押さえようとする可能性のある男性が周りに複数いるとなれば、男性を一切傷つけずに女性だけを殺すことはほとんど不可能だろう。
実際に、対馬容疑者は1人目の被害女性を襲撃したあとの経緯を「興奮していて覚えていない」とも話しているという。