話が少し変わりますが、今後の日本社会で起こる確実な大変化は人口減少です。超高齢化社会にシフトすることだけは100パーセント間違いないのに、新型コロナの対策とも似ていますが、「先を見通して手を打つ」という発想がすごく乏しい。
人口減少とのダブルパンチ
内田 いまから80年間で7000万人以上減ります。これほどの急激な人口減と高齢化はかつて人類が経験したことがないものですから、「こうやったらうまくいった」という過去の成功事例がないんですよね。
特に問題なのは、地方の人口減で、里山の過疎化・無住地化が進行した場合に、社会がどんなふうに変わるのかです。どういう仕組みで対処すべきなのか、いくつものプランを用意して、国民的な議論をして、合意形成しなければいけないのですけれど、この問題は放置されたまま、無作為なまま地方の過疎化・無住地化だけが進行している。
日本人は海外の成功事例にキャッチアップするのは得意ですけれど、未知の状況に向き合って、オリジナルな解を思いつくというのは苦手です。人口減少問題に対しても思考停止してしまっている。
仲野 先日の、和歌山の水道管破損のニュースを見ていて、高度経済成長期に作られた大量の社会的インフラが金属疲労してくるなか、人口減少とのダブルパンチで、もう街が維持できなくなるんじゃないかと思ってしまいました。
人口が激減している土地で、どうすればビジネスが成り立つのか
内田 いまJRは赤字路線を次々に廃線にしてますよね。まだ道路があるから、鉄道がなくても、交通網は整備されているようですけれど、高度成長期に作られた橋や高速道路やトンネルがそろそろ耐用年数がくる。これが日本中で一斉に劣化し始める。その時に、果たして地方の交通網の整備のために税金を投入するだろうか。僕はそれが心配なんです。おそらくそうなったら政府は「過疎地に住む人のために高額の税金を投じるわけにはゆかない。過疎地に住む人は自己責任でそこにいるのだから、都市部と同程度の行政サービスを期待する資格はない。文明的な生活がしたければ、地方を捨てて、都心部に引っ越せばいい」と言い出すでしょう。
「コンパクトシティ構想」とか「デジタル田園都市国家構想」という政策が出てきましたけれど、どう見てもこれは全国津々浦々に人が暮らして、生業を営めるようにするための政策ではありません。むしろ、地方が無住地化したあと、人が住まなくなった土地に、どうすれば収益を上げるビジネスを立ち上げることができるかを考えているんだと思います。それが大規模農業なのか、太陽光パネルなのか、あるいは産業廃棄物や核廃棄物の処理施設なのか、僕には分かりませんけれども、いま淡路島でパソナがやっているのも「肥沃な土地があって、観光資源もあるが、人口が激減している土地でどうすればビジネスが成り立つか?」の先駆的な実験だと思います。