昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2022/01/02

――天候とか、帰りの飛行機のチケットとか。テレビ的なルールで判断するのはほんとに芸人さんの性ですね。 

おさる その時に何かが現われるんですよね。やらなきゃいけない何かが。感謝ですよ。「お前しかできないよ」って言ってくれたのも感謝だし。武蔵さんの弟さんにも感謝だし。雨にも感謝だし。「チケット買うんすか」って言ってくれたマネージャーにも感謝だし。 

 

改名には、2、3年前から伏線があった

――番組からの「愛」を受け取れなかったというお話がありましたが、改名に関してはどうでしたか。素直に受け取れましたか。 

おさる そうですね。あれもちょっと伏線があって。細木先生が番組で急に「改名しなさい」っておっしゃったように思われてますけど、あの2、3年前から、地方の番組行く度に細木さんに「あんたねー、最近乗ってきてるけど、名前がね」って言われてたんですよ。「どんな名前がいいんですか?」って言ってたら「言わない言わない」って(笑)。

 それを経てのあの番組だった。でもね、あれもね、OKしないと終わらないんですよ、もう。 

――たしかに。 

おさる 100人くらい芸能人が出てる中で、僕がメインになっちゃったんです。僕をメインにしてくれたという、あれも愛なんですよね。

 観てる人たちは「変えるわけないよな」って思ったと思う。「変えたら面白いけど変えないよな」ってみんなが思ってるなら、やっぱり変えるって言った方が面白い。今考えるとですけどね。

 

 ただ、その時は正直、愛なんて考えられなくて、もうこれやらないと番組が終わらない、すぐまた変えればいいかって気持ちでした。まあ、何も考えてないのとお人好しで、8年間(モンキッキーで)やりましたけど。 

――8年間をちゃんとモンキッキーで生きた。 

おさる 僕みたいなものにスポットライトを当ててくれたんですもん。細木先生のお通夜に行って、感謝とお別れ言って。娘さんのかおりさんにもお会いしました。「また何かで絡ませてください」って言ってくれたので、なんかあれば面白いですけどね。 

【続きを読む】妻・山川恵里佳が番組で大御所を呼び捨て、「あなた、後輩と喧嘩してラテ欄に載ると思う?」と…芸人・おさる(53)が語る「妻の金言」

写真=松本輝一/文藝春秋

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

この記事の写真(15枚)

+全表示

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー