1992年にフジテレビで始まった『タモリのボキャブラ天国』。視聴者のダジャレ投稿がメインだったこの番組の一コーナーである若手芸人のダジャレネタ見せ、それはあれよあれよという間にお茶の間を巻き込んでの一大ムーブメントとなった。
爆笑問題、くりぃむしちゅー、ネプチューン……現在のバラエティで核となっている芸人たちを多数輩出したこの番組で、独自の「ガヤ」的立ち位置を確立していたのがアニマル梯団。筋肉書道家「宇都鬼(ウッキー)」としても活躍する元アニマル梯団・おさるが語る、『ボキャブラ天国』という“地獄”。 (#1〜#3の#1/#2を読む)
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――ボキャブラ世代なので、ちょっと緊張してます……。先ほどいらした時に「ああ“野生の咆哮 アニマル梯団”だ!!」と。
おさる 『ボキャブラ天国』の時のキャッチフレーズですね(笑)。あの頃は、もう何がなんだかわからないけど、ワーッと盛り上がっていく山に、ただこうしがみついていた感じでした。わけもわからずしがみついてた僕らは、どっかで一回振り落とされてしまうんですけど、計算してグッと掴まっていた人たちは、やっぱり上にいってますよね。山の頂上に。
――おさるさんは、現在は筋肉書道家「宇都鬼」としても活躍しているそうで。
おさる ありがとうございます。最近は、企業や海外から依頼される仕事も増えてるんですよ。
4畳半住まいから、3000人集まるライブで騒がれる存在に
――当時番組に出ていた芸人さんはどの方も「何がなんだか分からなかった」とおっしゃいます。『ボキャブラ』というあの祭りがいかにすごかったのか。
おさる 前澤(友作)さんの話でいうと、訓練せずに宇宙に連れてかれた感じですよ。「宇宙に興味あるやつ」って言って手を挙げさせて、全員グワーッと連れてって、宇宙でパッと放した。
――怖いですね(笑)。
おさる 何組かはちゃんと空気や食料もって行ったり、宇宙服で行ったりして。僕らは丸裸で行ってしまった。
――楽しかったですか。
おさる こんなに状況って変わるんだなと思いました。その時3畳とか4畳半のアパートに住んでたのに、人前出たら3000人くらいの人にワーッと言われて、フラッシュがバーッとたかれて。どんなネタやっても笑ってくれる。1個番組やっただけでこんな世界が変わるんだなって。
――『ボキャブラ』当時はそういうところにお住まいだったんですね。
おさる そうですね。オカダアパートというところに住んでました。部屋が4つしかない、入口があって「1階右」と「1階左」。僕は「2階右」でした。住民票にも「2階右」って書いてあった(笑)。
漠然と「たけし軍団に入りたいなあ」
――芸人になりたいと思い始めたのは?
おさる 10代の終わりくらいに、たけし軍団さんを観てです。漠然と「たけし軍団に入りたいなあ」なんて思ってた。でもコンビ組んでお笑いやり出した時には、たけし軍団さんはもう100人以上いて。希望しても「もう入れないよ」って言われてしまった。それで「もう自分たちでやるしかないね」って。
――アニマル梯団(おさるが結成していたコンビ)は、“たけし軍団”からきてたんですか?
おさる そう、だから団はとらないでいこうと。でもアニマル梯団と言いながら、2人ですからね。最初僕は晃でやって、彼(コアラ)は信也という名前でやってた。しばらくして名前もアニマルのがいいねということで、僕がおさるにして、向こうもコアラにしたんですよ。