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「蛍ちゃん(蛍原徹)が、俺が言いにいってやるよ、って」『ボキャ天』で大ブレイクも…おさる(53)が語る、90年代に感じた「テレビの壁」

おさる氏インタビュー #1

2022/01/02
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――『ボキャブラブーム』って、その当時から何年後ぐらいにやってきたんですか。 

おさる そこから7、8年後じゃないですかね。たけし軍団さんに「いっぱいだよ」って言われた後に、吉本興業さんのオーディションに行ったら「面白いんだけど、大阪弁の漫才師はうちにもう星の数ほどいるよ。そこ入っても頑張れる?」って言われて。そのとき2人で目を合わせて、「じゃあちょっと考えます」って(笑)。

 それでうちの相方が浅井企画を探してきた。「ここはみんな東京弁だから入ったら目立つよ」って。 

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オーディションでの、ルー大柴との出会い

――ニッチなところを攻めようと。 

おさる そうそう。浅井企画のオーディションでは、当時もう毎日テレビに出てたルー大柴さんがいました。それで「ルー大柴さんを笑かしたらなんとかなるんじゃないか」って。 

――どうでしたか。 

おさる 小さいライブに出るためのオーディションだったんですけど、誰も笑ってなくて……読み上げられる合格者の中にも、僕らの名前はなかった。 

 

――あぁ。 

おさる でもルーさんが「ちょっと待って」「俺の偏見だけど、この2人組、なんか粗削りで伝わってきたよ」って僕らのことを言ってくれたんですね。「面白くはなかったけど」って。 

――(笑)。 

おさる 「なんか若い時の俺みたいで。ちょっと出していい?ライブに」って言ってくれました。それでもう、チャンスだから、ここはもう外しちゃだめだと。200人ぐらい入る会場だったけど、全力でやって笑いとったんです。そしたらルーさんが「やっぱり俺の見る目は間違ってなかった」って言ってくれた。 

――最初からなかなかの崖っぷちを歩いてこられた。 

おさる そうですね。よく相方が調べてくれましたよ、浅井企画。たぶん「あ」からいったんだと思いますけどね(笑)。 

お笑いを始めて感じた「テレビの壁」

――その『ボキャブラ』までの7、8年間はどんな風に過ごされていたんですか。 

おさる ライブとか、ロケの中継とかね。アニマルということで、大きなワンちゃんを12匹ぐらい飼ってるお家に行って「お昼ご飯だよ」ってワンちゃんが呼ばれたら僕らもコソッと出てくる。スタジオから「何やってんだおい」「ちょっと変わった犬いるぞ」とツッコまれたら「ワンワン」って言いながらドッグフードを食べる。そういうのを7、8年やっていました。 

――素晴しい……。 

おさる 冬になったら、どっか遠いところの温泉に僕が入ってて、ちらっとカメラの方を見るとかね(笑)。 

 

――そう考えると「アニマル梯団のおさる」という芸名はテレビ的に正解だったんですね。 

おさる まあ、なにかにつけて呼んでもらってました。申年の時は、お正月に呼んでもらって書初めもやっていましたし。12年に1回ですけどね、それは(笑)。 

――でもコンビ名や芸名の時点ですごく戦略的な気がします。『ボキャブラ』が終わるとあまりテレビで見なくなった芸人さんは多いですが、アニマル梯団さんは何かしらで話題を振りまいて、芸能界にちゃんとフィットしているように感じていました。 

おさる いやいやいやいや、全然フィットしてないですよ。フィットもヒットもしてない。例えば「すんまそん」と言って、みなさんが笑ってくれたとするじゃないですか。そしたら次の週から台本は「すんまそん」で始まっちゃう。お笑いさんっていつもそういう壁があるんですけど。