引退か、正式種目採用の東京五輪出場か
1カ月後、会社からのご褒美の世界1周旅行を堪能し、日本に帰国すると、世界選手権に出発する前とは、周りの雰囲気が大きく違っていた。誰も彼もが、自分たちをキラキラした眼差しで見ていることに気がついた。
世界1周をしている間に、日本では世界選手権で優勝したことがビッグニュースとして駆け巡り、東洋の魔女は一躍、ヒロインに祭り上げられていたのだ。
河西は日本中の喜びの背景には、ソ連に勝って優勝したことが大きかったのではないかと言う。第2次世界大戦後、シベリアに抑留された日本人捕虜が大勢いた。劣悪な環境の中で苛烈な労働を強いられ、命を落とした日本人捕虜は6万人といわれる。その屈辱と怒りを東洋の魔女が晴らしてくれたといわんばかりに、日本中の目が彼女たちに集まっていた。
しかも、2年後に日本で開催される東京五輪に、バレーボールが正式種目として採用されることが決まったばかり。多くの日本人が、女子バレーは金メダル確実と大きな期待を寄せた。
東洋の魔女たちは、東京五輪はまるで頭になかった。会社にも、世界選手権後は引退すると伝えている。大松も同じだった。会社や日本バレーボール協会、五輪関係者から翻意を迫られても頑としてはね除(の)けた。大松は当時のインタビューにこう答えている。
「選手たちは皆、結婚適齢期を迎えている。僕は彼女たちに幸せな結婚をして欲しい。河西はもしやるとなったら31歳になる。29歳で辞めるのと31歳で引退するのでは、結婚の条件に雲泥の差が出る。そんなむごいことは出来ません」
それでも、東洋の魔女たちに現役続行を求める声は止まなかった。
大松は選手に判断を委ねた。河西が言う。
「先生は、お前たちがやるって言うなら僕も監督を続けるけど、お前たちがやらないなら僕は仕事に専念する。どうするかはみんなで決めなさいって。私たちは100パーセント辞めるつもりでいたから、毎日顔を突き合わせては、どうする? どうする? って、堂々巡りでした」