公開まで2カ月のタイミングでレコーディング
――確かに、幻となった『煙突描きのリン』と同じ名前の女性キャラクター・リンは湯屋で千をサポートする心強い存在として『千と千尋』に登場しますよね。電話があってからは、すぐにレコーディングに入られたのですか?
木村 レコーディングは公開までもう間もない2001年5月です。覚さんと一緒にスタジオに行きました。私は宮崎さんのファンでしたから、もしかしたらレコーディングに顔を出してくださるのかなぁと期待していたんですけど、いらっしゃらなくて。ちょっとだけ寂しかったですね(笑)。でも鈴木(敏夫)さんはいらしてくださいましたし、音楽プロデューサーの久石(譲)さんには大変お世話になりました。
実は宮崎さんとは電話で話しただけで、試写まではお会いしていないんです。作品の最後に「いつも何度でも」を流すことを宮崎さんが決めた以外は、ほとんどこちらに任せてくださった形でした。
試写では「ちょっと、まだ不安でしたね」
――試写でご覧になって、「いつも何度でも」は違和感なくマッチしていると思えましたか?
木村 ちょっと、まだ不安でしたね。普通は主題歌というと、そのインストがテーマ的なものとして全編に流れて、観客の耳に残るものじゃないですか。「もののけ姫」はそうでしたよね。だから、久石さんがあの私のメロディーをきれいにアレンジしてくださって本編でもどこかで流していただけていたらさらに嬉しかったんですけれど……。でも、そうならなかったことでかえって印象が深まっていると仰る方も多くいました。
『千と千尋の神隠し』は、ある10歳の幼い娘さんを喜ばせたいという気持ちが、制作へつながったと言われていますよね。宮崎さんの「子供を喜ばせたい」という純粋な動機が根底にあるからか、あたたかい。たとえば青蛙がカオナシに飲み込まれても、最後には生きて戻ってきます。殺さずに生きて帰す。そういう優しさがいいなって思いました。
――そうですね、千に執着して我を忘れ、暴走したカオナシも最後は赦されるといいますか。
木村 カオナシも完全な悪じゃなくて、後に銭婆のところへ行って、落ち着きを取り戻していくというようなね。悪行を働いたから何から何まで全部悪ではなく、誰だって良い面も抱えている可能性があるわけですよね。いろんな性質が混じり合っている。そうした理解がいまの人たちには必要でしょうし、そこも受け入れられたんじゃないでしょうか。