「新宿のホームレスの段ボール村」を卒論のテーマにし、筑波大学卒業後、ルポライターとして活躍する國友公司氏は、卒業後もなお「ホームレスは一体、どのような生活をしているのだろうか」という疑問・問題意識を持ち続けていた。
そこで同氏が行ったのが、2ヶ月にわたる路上生活だ。ホームレスと交流を重ねながら生活をするなかで気づかされた、彼らの食事や財布事情をはじめとした“生活の実情”とは、いったいどのようなものだったのだろう。ここでは、國友氏の新著『ルポ路上生活』(KADOKAWA)の一部を抜粋。上野周辺で出会ったホームレスの意外な「経済事情」について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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東京文化会館軒下
8月23日。
駅前通路から四郎も寅さんも(編集部注:上野駅前通路で生活していたホームレスに筆者がつけた呼び名)いなくなってしまい、それだけで雰囲気は寂しいものへと大きく変わってしまった。「ホームレスの世界は得てして入れ替わりが激しいからね」と黒綿棒(編集部注:筆者がつけた呼び名)が言っていたが、今それを実感している。
上野公園には目測で30~40人ほどのホームレスがいる。その多くは東京文化会館の軒下にダンボールを敷くなどして暮らしている。東京文化会館の営業時間は午後5時までとなっているが、閉まったからといってすぐに軒下で寝ていいわけではない。ホールは22時まで利用可能なため、その時間に消灯となる。すると、公園内のベンチなどで過ごしていたホームレスたちが軒下に集まってくるのだ。
消灯後、東京文化会館の周りを歩いてみると、ホームレスたちの中にいくつかのグループができていることに気が付いた。その中から私は、60代くらいの中年男性と20代くらいの青年が2人で暮らしている一角を選び、となりで寝かせてもらうことにした。
青年はキャリーバッグを一つ転がしているだけだが、中年は大荷物だ。夜になると公園周りのガードレールに括り付けている台車を押してやってくる。
荷台の上にカーペット、掛け布団、毛布、タオルケットが重ねられ、それをブルーシートで二重に包み、その上にダンボールを数枚置いて、またブルーシートで包む。それらを紐とゴム紐でグルグル巻きにして荷台の取っ手に結び付ける。
夜、大荷物を解体する様子を見ていると、ダンボール数枚は青年のものだった。青年はそのダンボールを軒下に敷き、キャリーバッグを枕にして眠る。「ただ一緒に寝ているだけ」と青年は言っていたが、それだけ歳の離れた2人が路上で共同生活をしているというのは珍しく、親子のように見える。
公園の夜というのはとにかく蒸し暑い。木で覆われているため風通しがあまりよくないのだ。来園者もほとんどいないので私は上半身裸になり、濡れタオルを顔にかぶせて眠った。
翌朝、6時に軒下を出た「仮親子」は、国立科学博物館前のベンチに離れて腰掛けていた。私は青年のとなりに座り、5分ほどの沈黙の後、話しかけた。
「いつから路上ですか? 僕は1カ月前から」
「まだ2カ月くらいやね」
出身は奈良だという青年。髪にはツーブロックの段差がまだわずかに残っている。
「日中はどこにいるんですか?」
「いや、居場所なんてないから。ずっと公園のベンチに座って夜になるのを待っているだけですよ」
「この辺は手配師が多いですよね。声掛けられませんか?」
「掛けられるけど、今すぐに働ける状況じゃないから」
「怪我とか、ですか?」
「まあ、いろいろですよ」