現代でもネット黎明期と同じ問題が議論されている
村上氏が、実業家の成毛眞氏に向けて送ったメールの末尾に「よろしくお願い申し上げます」を書かなかった理由について記した部分も見てみよう(同書211ページ)。
(略)もちろん相手によっては、「よろしくお願いします」を末尾に入れる場合もある。成毛さんはそういう儀礼的な言い回しを好むタイプではないので、「よろしくお願いします」を書かなかった。メールを出す相手の個性や価値観、ポリシーなどをだいたいでいいから把握しておいたほうが、効果的な文章を書きやすい。もちろんわたしも「よろしくお願いします」という言い回しは好きではない。「よろしくお願いします」が、末尾にあるだけで、送信者の形式主義が暴露されてしまうこともあるからだ。ただ、相手によっては「よろしくお願いします」のような定型が無難だと思われることがある。しかも、仕事上のメールでは、そういった定型が好まれる場合はいまだ多い。
成毛さんのような人はいまだに日本では少数だが、確実に増えている。彼には、「よろしくお願いします」は必要ではないのだ。そういった細かな定型のあいさつ文ひとつとっても、現在は過渡期にあると言える。今後、「よろしくお願いします」のようなあいさつ文が、滅多に使われない古い表現となるのか、これからも主流として生き続けるのかは、日本社会の文脈の変化の度合いによるだろう。
20年前に村上氏が嫌った「よろしくお願い~」という表現が、やがて「滅多に使われない古い表現」になったのか、生き残ったのか。答えは明らかだろう。
ビジネスマナーを重視する形式主義か、フレンドリーで臨機応変なコミュニケーションかというネット黎明期のメールが直面していた問題は、実は古くて新しい話でもある。
なぜなら令和の現代においても、ビジネス用のメッセンジャーソフト『Slack』の使いかたについて、絵文字の使用の自粛や敬語表現の徹底、上司に@(メンション)をつけて話さない、冒頭と末尾に「お世話になっております」「よろしくお願い申し上げます」の挨拶文を挿入するといった「堅い」マナーを求める動きと、スピード感のあるカジュアルなやりとりを求める動きの2つが生まれているからだ。
他に(文章術とは直接関係がないが)ウェブ会議サービスのZoomの使用法についても、顔画像の並び順で「上座」に地位の高い人が配置されるようにする、ログアウトは上司よりも後になってからおこなうといったマナーを提唱する動きがある。
20年前のメール導入期と似たようなことが、いまでも日本のビジネスの現場で起こっている。往年、カジュアルな使いかたも検討されたことがあるメールが、いつしかお堅い通信手段に変わったことを考えると、SlackやZoomも将来的に似たような道をたどる可能性は高いだろう。
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