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中国「満鉄製の駅舎」、韓国「東京駅っぽい駅」、北朝鮮「マンホールに刻まれた紋章」…いまも残る「大日本帝国」時代の“アジアの駅”

2022/01/30

ロシア風の尖塔がそびえ立つ旅順駅舎

 その大連駅から南西へ約30キロ離れた旅順には、俗に“ネギ坊主”と呼ばれるロシア風の尖塔がそびえ立つ旅順駅舎が健在だ。といっても、大連からの旅客列車は2014年に廃止され、現在は旅順市民のための乗車券売場としてのみ機能している。

旅順駅舎。“ネギ坊主”の尖塔が目を引く【★】

 明治の末期には文豪・夏目漱石がこのホームに降り立ち、伊藤博文はこの駅からハルピンへ向かい、現地で暗殺された。その暗殺犯・安重根もまた、列車でこの駅舎まで護送されてきた。昭和初期には与謝野晶子・鉄幹夫妻もこの駅を利用している。

関東州時代の旅順駅(当時の絵はがきより)。上の写真とほぼ同じ位置で撮影されたもの

 帝政ロシアの面影を色濃く残すこの駅舎は、大連市がその歴史的価値を認め、重点保護建築物に指定している。それはいいのだが、駅舎に掲げられている解説プレートによる「1900年、帝政ロシアの占領期に建設された」との説明は史実と異なるので、注意が必要だ。

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旅順駅舎の文化財登録碑。「中東鉄路」とは日露戦争で満鉄に鉄道権益を譲ったロシアの鉄道会社で、日本では「東清鉄道」として知られている。旅順駅舎はその東清鉄道の関連史蹟として、中国政府による文化財指定を受けている
大連市が設置した旅順駅舎の解説プレート。「沙俄侵占時期」(帝政ロシア統治時代)である「1900年」の建築、との部分は誤っている

 旅順駅が帝政ロシアの統治時代に開業したのは事実だが、このロシア風駅舎は実は2代目。意外にも、日露戦争(1904年~1905年)後からこの駅を管理するようになった満鉄(南満洲鉄道)によって建てられたのだという。なぜ、満鉄が日露戦争後にわざわざロシア風の駅舎を建てたのかはわからない。創業当初の駅舎は、現在の駅舎の向かいにある平屋の建物で、創建から100年以上経った今も警察の派出所として使用されている。