中国東北部や朝鮮半島の鉄道旅行は、21世紀になってから急ピッチで高速化が進み、利便性が向上し、快適になった。車両や駅舎は次々と新しくなり、チケットレスサービスなどでは日本の鉄道より先んじていると感じることさえある。

 その一方で、20世紀前半に建設された古風な駅舎を、改良を重ねながら今も現役で使用していたり、史蹟や産業遺産として保存しているケースも見られる。そんな駅には、どんなに最新鋭の高速列車が発着していても、伝統ある駅舎の内外には、最先端の中央ターミナルではなく古風な“停車場(ていしゃば)”の雰囲気が漂う。

 これらの駅に共通するのは、日本国外の鉄道駅なのに、80年から100年以上前の大日本帝国時代の鉄道旅行の面影が、独特の異国情緒として感じられる点である。どんなに伝統ある日本国内の鉄道駅に降り立っても、同じ感覚は体験できないだろう。コロナ禍で気軽に訪れることが難しくなってしまったこれらの名物駅、今も同じ雰囲気を醸し出しているだろうか——。

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(1)大連駅・旅順駅(中国)

 80年前の日本人はみんな知っていたが今では誤解されやすい東アジアの地理の知識に、「中国の遼東半島にある大連や旅順は満洲国ではなく、日本が直接統治する租借地だった」というものがある。

昭和12年(1937)に建てられた大連駅舎。東京の上野駅舎をモデルに設計されたといわれる

 満洲国は、日本の強い影響下にあったことは事実だが、建前上はあくまでも1932年に成立した日本とは別の国家である。一方、遼東半島は日露戦争に勝った日本がロシアから譲り受けた関東州という租借地であり、統治者は日本そのものだった。最近の例でいえば、1997年までイギリスが統治していた香港と同じポジションである。

(ただし、大連駅に発着する満鉄の旅客列車を利用して関東州と満洲国、あるいはそれ以前の中華民国との間を行き来する日本国民〔日本国籍を持つ朝鮮人や台湾人も同じ〕と満洲国、あるいは中華民国の国民は、お互いにビザどころかパスポートも必要なかった。詳細は扶桑社刊『改訂新版 大日本帝国の海外鉄道』第4章「パスポートがいらない外国・満洲」参照)

関東州時代の大連駅(当時の絵はがきより)。2階は出発フロア、1階は到着フロアと区別され、2階にも自動車が直接乗り入れできる構造は現代の空港と同じで、当時としては画期的な構造だった

 そのせいか、関東州の玄関口として昭和12年(1937)に完成した現在の大連駅舎は、東京の上野駅をモデルに設計されたと言われており、満鉄(南満洲鉄道)が建てた満洲各地の他の欧風建築物と異なり日本内地のイメージが強い。確かに、北の大地への始発駅という意味では、(かつての)上野駅に通じるところがある。