(2)ソウル駅・新村駅(韓国)
韓国の首都・ソウルの中心部に位置するガラス張りのソウル駅ターミナルビルに隣接して、東京駅丸の内口の赤レンガ駅舎によく似た、ルネサンス様式の壮麗な洋館がそびえ立っている。日本統治時代の大正14年(1925)に竣工した旧ソウル駅舎である。第2次世界大戦終結の2年後にあたる1947年までは「京城駅」だった。
東京駅に似ているのは、設計者が東京帝国大学教授だった建築家の塚本靖であったことが一因かもしれない。大正3年(1914)に竣工した東京駅の赤レンガ駅舎を設計した辰野金吾は、塚本の大学時代の指導者の一人であった。ただし、モチーフにしたのは東京駅ではなく、オランダのアムステルダム中央駅だと言われている。
2004年の高速鉄道(KTX)開業時に駅舎としての役割を終えたが、1981年に建物全体が文化財としての指定を受けていたことから、現在は複合文化施設として整備されている。
この旧ソウル駅舎のように現役当時から文化財扱いされている場合は、永続的な保存や活用への道が拓けやすいのだが、地元住民の生活に密接している小駅レベルになると、韓国の場合、そう簡単にはいかない。
その典型的な例が、ソウル駅の1駅隣、わずか3.1キロ離れた新村駅だ。駅周辺には延世大学や梨花女子大学など韓国の名門大学があり、学生の姿が絶えない若者の街として賑わっている。
この駅では、日本統治時代の大正10年(1921)の開業時に建設された小さな駅舎が、80年以上使用され続けた。ソウル駅の赤レンガ駅舎より4年早く開業した新村駅舎は、21世紀になると、ソウル市内で最も古い鉄道駅舎となっており、大型駅ビルへの改築計画が具体化した。
ところが、新駅ビルの建設にあたり、この小さな初代駅舎をめぐってソウル市と市民団体との間に一悶着が生じた。ソウル市は当初、初代駅舎は「日本人が植民地時代に建てたから保存価値はない」として撤去を決定。これに地元市民らが反発した結果、撤去計画が撤回され、駅舎は文化財として新駅舎のそばに保存されることとなった。
建築物としての歴史的価値が設計者の技量ではなく国籍によって左右される、という価値判断が行政機関で一度は通用してしまったことにも驚かされるが、この論争を経て完成した新駅ビルの前に建つ保存中の旧駅舎の姿には、さらに驚かされた。正面玄関から入った平屋はかつて向かって左側へ張り出していたのに、保存駅舎は玄関後方の平屋が反対側(右側)へ張り出しているのだ。現役時代の旧駅舎と現在の駅舎の写真を比較すれば、一目瞭然である。
どうやら、左側へ張り出した部分が新駅ビルを建てるうえで支障があったため、左側を取り壊して右側に左右対称の張り出し部分を造ったらしい。この状態で、韓国の国家登録文化財になっているのである。建物の構造は明らかに現役時代と異なるのだが、それを国家の文化財として大切に保存することに、果たしてどのような意味があるのだろうか。