いい意味での『怒り』を感じながら書いていた
試みは実を結んだと言えるんじゃないか。『ブラックボックス』では主人公サクマを通して、現代を生きる誰もが否応なく抱く感情を、余さず描き出している。わけもなく襲ってくる焦燥感。迂闊に人とコミュニケーションをとると痛い目に遭うので、むりやりどうでもいいことに没頭して周りをシャットアウトする孤絶感。何か大きなものに飼い慣らされていくような無力感。そしてたまにやってくる、すべてをチャラにしたい突発的な暴力的衝動などなど。まるで現代のリアルな感情の見本市で、そこが本作の読みどころのひとつだ。
「なるほど、『どう読まれるか』と『どう書いたか』は別物だなという意識が常にあるので、いろんな読み方がなされていくのはうれしいですし、こちらはそれをただ眺めるのみです。
ただ、感情という面でいえば、自分としてはいい意味での『怒り』を感じながら書いていた気がしますね。怒りって強いパワーを伴う感情じゃないですか。それを書き込みたかった。
何に対するどんな怒りだったのかは、そうですね……。これは最近の風潮なのかどうかわかりませんけど、自分の身体を使って働いている人に対して『保護してあげなきゃ』『守ってあげないと』みたいなニュアンスがつきまとっているのが僕には目に付いて、有り体に言うとムカついてしまう。『エッセンシャルワーカー』などといった言葉にまとわりつく違和感が拭えないというか。
保護の対象とされる側からすれば、そんな弱い立場じゃないぞ! と叫びたくなるんじゃないか。主人公のサクマはだから、どんな状況になっても一切だれかに縋ったりはしないんです」
「怒り」を書いたというのは、よく腑に落ちる。『ブラックボックス』はたしかに全編にわたり、沸々とした怒りの気配に満ちている。同時に怒りの感情は、これまでの砂川作品すべてに通底しているとも思える。戦争・戦闘を描いた過去作では、怒りの感情が直接的な暴力性と結びついており、今作『ブラックボックス』ではそれが日常に溶け込んでしまったという違いはあるにせよ。