求人誌や新聞の求人欄の募集は、あくどい業者がいっぱい
「日曜日は仕事が休みでした。逃げるのはこの日しかないと考えたけど、部屋には3人がいる。荷物を全部持って出たら、ずらかるのだとすぐにばれてしまう。もし失敗したら怖いリンチが待ってますさかい、あのときほど慎重に行動したことはおまへん。紙袋とナップザックに大切な物をすべて放りこみ、『買い物に行ってきます』と同室の者に告げて外に出ると、猛ダッシュですわ」
「驚きました。まるで昭和初期の出来事を聞いているように錯覚しましたよ」
「へえ、昨日の話です」
「住み込みの場合は、注意が必要ですね」
「ハローワークなら問題ないけど、求人誌や新聞の求人欄の募集の場合には、あくどい業者がいっぱい網を張って待ってますさかい」
「しかし、ほかにも逃げたいと考えている人はいると思うのですけど、同室者に相談はしなかったんですか?」
「そんなことをしたら、いっぱつでチンコロされまんがな。あんなところには、やりたい放題に搾取されとんのに、経営者に忠義心を抱いとるアホがぎょうさんいてますさかい」
「それにしても、よく捕まらなかったものです」
「とにかく、電車に乗るまで追いかけてこんかと気が気でなかったですわ」
その夜は公園で過ごし、翌朝、住民票を置いている荒川区役所に飛びこんだのだという。
仕事で若い頃から日本全国を飛びまわっていた
「わしは九州の福岡の出身でして、そこで所帯を持っとりました。しかし仕事の関係で出張に出ることが多く、それで寂しさを紛らわせるために女房は酒に溺れるようになりましてな。そのあげく肝臓をわずらい、50歳そこそこの若さで他界ですわ。その後はたったひとりで4人の子供を育て上げ、4人とも成長して家庭をもったのを契機に、子供から離れて自由な暮らしに飛びこんだわけですよ」
「九州の出身ですか。言葉を聞いて、関西人と勘違いしていましたよ」
「仕事で若い頃から日本全国を飛びまわっとりましたからな。わしは学歴がないので、出張いうてもほとんどが土木仕事で、稼ぎのええダム工事が主でしたわ」
「苦労されたんですね」
「あの頃は苦労とは思わなんだけど、死にかけたことはなんどかありました。足場上での作業中、足を踏みはずして30メートルほどを真っ逆さま。運よくどこにもあたらず、そのまま水のなかにドボンと落下したので、かすり傷ひとつ負うことはありませんでしたわ」
「ダム工事の現場で?」