「そうでんがな。それに、滋賀県の飯場にいたときには労働者同士の揉め事がおましてな。片方がいつのまにか取りだしたドスで、相手の首をバサッとばかりに切りつけたんですわ。噴水のように真っ赤な血が噴きだして、やられたほうは倒れてピクピクとケイレンですわ。その場には何人かおったんですが、全員が蜘蛛の子を蹴散らすように逃げだして、残ったのはわしひとりだけ。恥ずかしい話、腰が抜けて動けなかったんですわ」
警察によけいなことを喋ったら…
「その話も昭和初期ですよ」
「へえ、昭和の終わり頃の出来事でしたわ」
「それで、首を切られた人はどうなりました?」
「出血多量で即死ですわ。すぐに動かんようになってしもうて……」
山根はそのときの情景を思いだしたらしく、目を剥いて身震いした。半袖の腕に鳥肌が立っている。
「返り血を浴びた鬼のような形相で、男がわしのところにやって来て、『俺はいまから高飛びするけど、警察によけいなことを喋ったら、あいつと同じように冥土に送ってやるからな』とわしの首にドスを押しあてて脅すもんやから、生きた心地がせなんだですよ」
「結果的にその男はどうなりました。逮捕されたのでしょうか?」
「いんや、警察に捕まったという話は聞いとらんので、逃げ切ったんと違いますやろか。殺人いうても、殺されたのは虫けら同然の飯場労働者でっさかい、警察が真剣に捜査するわけがない。どうせ名前も偽名やろうし、だいいち男の顔写真もおまへんでしたから」
喉が渇くらしく、山根はマグカップのお茶を立て続けに飲んでいる。
テントよりも寝袋がいい
「荒川の河川敷で暮らしとったこともありまして、野宿生活もええもんやで。同じ野宿仲間がいっぱいできて、夜にはたき火を囲んで飲むのは最高や。星空を眺めとるだけで、なんぼでも飲める。酒の肴なんかいるもんかいな。そして酔っぱらったら、そのままブルーシート内にもぐりこむ。そういう暮らしでしたわ」
「山根さんが野宿生活に逆戻りするときには、テントをプレゼントさせてもらいますよ」
「最近はどこの公園でも追いだしが盛んで、テントは張りにくうなってしもうた。けど寝袋なら、どこでだってチョチョイのチョイで広げて横になることができますさかい。どうせくれるなら、テントよりも寝袋がええな。上野のドンキなら、2000円ちょいで売っとるはずや」
「それなら、一緒に寝袋もプレゼントさせてもらいますよ」
「それだけあったら、楽に1年間は生活でける。ありがとさんです。けど、ここを出たあとは、上野の〇〇Sで世話になろうと思うとります。そこで生活保護暮らしや」